目次
あらすじ
マララ・ユスフザイは2014年ノーベル平和賞を受賞した少女である。受賞のときわずか17歳だった。
彼女の誕生日・7月21日は「マララ・デー」という「すべての女性、少年少女の権利のための日」とされている。
【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)
マララさんはタリバンという組織によって頭を撃たれました。
私の記憶だと頭を撃たれた歴史上の人物、たとえばアメリカのケネディ大統領などは銃撃が原因で亡くなっていますが、マララさんはまだ生きています。
医療の進歩によるものか、撃った人の手元が狂っていたのか、それともマララさんの強運というか、運命のようなものによるのか、いずれにせよ、とても幸運だなと思いました。ほとんどフィクションみたいだな、とも思いました。
マララさんが撃たれるとき言い放ったといわれる言葉も、私の胸を打ちました。
ピストルを持った男はマララさんとその仲間に近づき「どの子がマララだ?」と訪ねました。
彼女は「どの子がマララかって? マララはわたし」と答えました。
私はこれを読んで胸が熱くなりました(ちなみに今感想文を書くために見直したところ、どうやら心の中で思っていただけで実際に言ってはいないようです。勘違いでした)。
さて、マララさんはどうして、そのように堂々と命を狙われる少女なのでしょうか。私自身が15歳くらいのときは、どう考えても命を狙われる筋合いはありませんでした。
「ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです」
これはマララさんがいつかのスピーチで語ったといわれる言葉です。彼女は教育の大切さを説いています。
私たちは日本に住んでいるのであまりピンとこないのですけど、マララさんの故郷であるパキスタンでは、教育が充分に整備された環境であるとは言えないようです。少なくとも日本並ではないと思います。
そんな中で、教育について熱心にブログなどで発信し続けていたことが、頭を撃たれた一因でした。
私だったら頭を撃たれるような文章を書こうとは思いません。もし仮に書いたとしても、それをブログなり雑誌なりに発表しようとは思いません。いちばん大事なのは自分の命です。
でも、マララさんはきっと私のように思わなかったのでしょう。
結果的に彼女は世界中に多くの賛同者を得、ノーベル平和賞を受賞するに到りました。
私はほんとうに感心します。マンガの世界だ、とも思いました。
事実は小説よりも奇なり、ということわざが頭に浮かびました。
私たちは平和な日本に住んでいるので、この本に書かれていることを具体的に感じられる人は少ないと思います。
宗教的なタブーも、ピストルも、差別も、教育の不備も、ほとんど意識することなく生きていくことができます。
それは決して悪いことではなく、とても幸運なことだと思います。そしてパキスタンの状況を知ったからといってみんなが必ず行動を起こす必要もないと思います。
行動を起こす前に、私たちは現在の日本社会について考えることが重要だと私は思います。
日本にマララさんのような少女が存在しないのは、なぜか?
日本がパキスタンのような社会ではないのは、なぜか?
それらを考えないで「マララさんの力になりたい」と考えることは順序を間違えており、さらに失礼であると思いました。
誰かを助けたかったらまず自分についてよく知るべきです。自分が泳げるかどうかわからないのに、おぼれている人を助けに行くのは愚かです。
それらについて知ることは、つまり学ぶことは、マララさんの主張する「教育の大切さ」を尊重することにもつながることになります。
そしてそれは、彼女を恐れたタリバンが真に恐れたものです。
(86行,原稿用紙4枚と6行)
おわりに
過去に書いた「読書感想文」はこちらから。
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