目次
あらすじ
熊本県五木村で立ち上がったダム建設計画は中断した。
老夫婦を残し、住民はみんないなくなってしまった。
二人は五木村でイチョウの木とともに生きる。
【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)
「土になる」とは、その土地で生き抜くことを表した言葉です。
「生きる」と「生き抜く」は違います。
後者にあって前者にないのは「覚悟」です。覚悟がなければ生き抜くことはできません。覚悟がなければ、誰もいなくなった村で暮らし続けることは不可能だと私は思います。
覚悟がなくても生きていける人もいれば、覚悟がなければ生きていけない人もいます。私はどちらかといえば、覚悟がなければ生きていけない人の方が好きです。そういう点で『ここで土になる』の夫婦は好きです。
『ここで土になる』に収録されている写真は、どこか「さみしさ」のようなものを感じさせます。
それはたぶん、写真がモノクロだから、という単純な理由だけではなくて、五木村の景色に老夫婦の覚悟が染みわたっているからだと私は思います。
覚悟を抱えて生きている人は、知らず知らずのうちに、その覚悟が周りに浸透していくものと私は思っています(それはしばしば「オーラ」と呼ばれたりする)。たぶん一流のスポーツ選手や、大企業の社長なんかはそんな人ばっかりなんじゃないかと予想しています。イチロー選手とか、錦織選手とか、孫正義社長とか。そういう類の方に会ったことないですけど。
覚悟が人間の外側に滲みだしたとき、それに触れた私たちは「さみしさ」を感じます。
「さみしさ」は「美しい」という感情を揺さぶります。
花は散り際が美しいと言われます。桜が美しいのは、それがすぐに散ってしまうからです。たとえ1年後にまた見られるとしても、春の桜はきれいです。
老夫婦の覚悟もまた花のように、本質的には「終わること」を目指しているものです。「ここで土になる」という題名からそれは明らかです。
「終わること」は「死ぬこと」であり一般的には「さみしい」ことです。
でも、「終わること」は「さみしい」ことですが、それゆえに「美しい」ことでもあります。
それは私たちがいつか経験する「終わること」をポジティブにとらえるために脳みそにプログラムされた感情なのかもしれませんけれど、私はそれでもいいと思っています。
(52行,原稿用紙2枚と12行)
おわりに
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