※引用はすべて太宰治『女生徒』青空文庫による
目次
あらすじ
これは、ある女の子が朝起きてから寝るまでの小説。
起きて、布団をあげ、鏡で自分の顔を見る。
犬ををかわいがり、部屋を掃除し、ごはんを食べ、新聞を読む。
登校し授業を受け、バスに乗って帰る。
夕食(ロココ料理)を作り、風呂に入り、月を見ながら洗濯をする。
そして就寝する。
<おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。>
読書感想文(1200字,原稿用紙3枚,60行以内)
太宰治『女生徒』の語り手の少女は、日常の何気ない動作のたびにあれこれ考え事をします。犬はグミを食べないだとか、女性の人生についてだとか、新聞広告の文章についてだとか、など。
私は『女生徒』を読んで、よくこんなにいろんなことを考えられるな、と思いました。キレイな先生を見て「風呂敷みたいにキレイ」なって、絶対考えないなと思います。
でも、そんな意外性のあることばかりではなく、私たちもたぶん、普段の生活で同じように考え事ことをしているんじゃないか、とも思いました。そんなふうにたくさん考えたことを自覚していないだけだと思います。記憶に残るような面白いことを考えていないんじゃないかな、と思います。
脳みそが記憶できる量には限りがあると聞いたことがあります。たとえば一年前の今日、なにを考えていたか思い出せますか。私は思い出せません。同じように、私たち人間は毎日(というか毎瞬間)考えたそばから忘れる動物なのだと思います。
<あさ、眼をさますときの気持は、面白い。>
太宰治『女生徒』はこの一文から始まります。ある一人の女の子(中学生くらい?)が朝目覚めてから夜眠りにつくまでの物語です。彼女は父親を亡くしており、母親と二人暮らしをしています。兄弟はいないみたいです。
さて、私が好きなマンガ『バクマン。』では「何気ない日常を面白く描ける作家がいちばんすごい」ということが書いてありました。この小説はまさにそんな「何気ない日常を面白く描いたもの」だと私は強く思いました。
<出がけに、うちの門のまえの草を、少しむしって、お母さんへの勤労奉仕。きょうは何かいいことがあるかも知れない。同じ草でも、どうしてこんな、むしりとりたい草と、そっと残して置きたい草と、いろいろあるのだろう。可愛い草と、そうでない草と、形は、ちっとも違っていないのに、それでも、いじらしい草と、にくにくしい草と、どうしてこう、ちゃんとわかれているのだろう。理窟はないんだ。女の好ききらいなんて、ずいぶんいい加減なものだと思う。>
この場面なんて、ただ草むしりをしているだけのシーンです。雑草を抜いている文章から、女性についての文章に自然にシフトしていて、それでいてつまらなくなく、ちゃんと面白さがあります。太宰治が天才だと今でも言われるのは、このような一見平凡に見える描写にも優れたところが観察されるからだろうと思いました。
(57行,原稿用紙2枚と17行)
おわりに
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