加藤シゲアキ『ピンクとグレー』感想|あいまいな色が表すはかなさ

あらすじ

 河田大貴と鈴木真吾は、ともに芸能界での成功を夢見た親友同士。
 大貴がエキストラに甘んじていた一方で、真吾は「白木蓮吾」として人気俳優としての道を着実に歩んでいた。
 そんな中、真吾は首を吊る。
 鈴木真吾=白木蓮吾はなぜ死んだのか?
 運命の歯車が動き出した。
 加藤シゲアキのデビュー作の小説。
 2016年1月劇場公開。

感想

 「ピンクとグレー」というタイトルは、はじめに仮でつけていたものが、書いているうちに「これでいいじゃないか」ということになり、採用されたと聞きました。

 

 色が題名についた小説というと、コナン・ドイル『緋色の研究』とか村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』が思い浮かびます。それらの小説は、直接あるいは間接的に「色」が物語に深く関係していましたが、『ピンクとグレー』も同じように、「ピンク」と「グレー」の色合いというか雰囲気が作品全体に漂っています。

 

 絵の具を混ぜてピンクを作るときは、赤と白を使います。グレーを作るときは黒と白を使います。ピンクまたはグレーの絵の具は、あまり売っていないように思います。
 このことから分かる「ピンクとグレー」二つの色に共通する特徴は、どちらも「あいまいな色」であることです。混ぜる割合によって色が微妙に変わる。

 

 白や黒は、私たちが思い描くとき、ある程度イメージを共有できます。「iPhoneの白」とか「iPhoneの黒」とか言ったときに想像する色合いは、たぶん誰でも同じようなものです(iPhoneをご存じない方はツルツルした板をご想像ください)。

 

 でも「ピンク」と「グレー」は違います。濃いピンクなのか薄いピンクなのか、黒に近いグレーなのか、はたまたほとんど白であるようなグレーなのか、コンセンサスを得るためには白や黒よりも努力が必要です。

 

 そんな「あいまいな」色がタイトルになっているのですから『ピンクとグレー』は人間関係のあいまいさ、変わりやすさ、転じて、はかなさのようなものが描かれた小説です。
 人は変わる。置かれた環境、周囲との付き合い、感情のすれ違い、大人になること、そして、成功と挫折によって。

 

 本書は著者のデビュー作(処女作)でありますが、私が考える、良い小説になくてはならない「あいまいさ」のようなものをしっかり盛り込んでいると感じました。
 それは著者が「ピンクとグレー」という「あいまいな」題名を仮に(あいまいに)冠して物語を書きはじめたときから、すでに宿命づけられていたのだろうと思います。
 これから『ピンクとグレー』に触れられる方は、作品の根底に流れる「あいまいさ」をぜひ感じ取っていただきたいと思います。

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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