東山彰良『ブラックライダー』800字書評

ステーキか毒杯か

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東山彰良『ブラックライダー』の800字書評です。

 

 『ブラックライダー』は文明が崩壊した後の世界を描いた作品である。
 「いままでのこと」が通じない世界では、私たちはどのように振舞えばいいのかわからない(当たり前だけど)。私たちはなにか行動を立ち上げるときには、(無意識に)前回までのことを参照しようとしてしまう。それは「学習」と呼ばれることの成果である。

 

 そうしてしまうこと自体は、人間として自然な行動だけれど、「いままでのこと」が通じない、『ブラックライダー』のような世界では、「いままで」と同じように行動することは最適解ではなく、むしろ命取りであることさえある。

 

 人類のほとんどが死に絶えた後、十数年の歳月とともに『ブラックライダー』の世界では一応、「秩序のようなもの」を建設することに成功した。
 食糧難を解決するために、牛とヒトを掛け合わせる。新たに発生したのは、そこで生まれた生物を食べてもいいのかという問題だった。

 

 「いままで」(というか私たちの生きる現代)のルールでは、ヒトを食べることは禁忌である。しかし作中では食べられる。この乖離は「フィクションだから」と通過することもできるが、立ち止まって考えてみる時間は無駄ではない。

 

 そのとき考察するべきなのは「食べることの是非」はもちろんだが、それに加えて「食べざるを得ないような状況に陥ったときにどう振舞うか」だと思う。

 

 そのような世界において私たちが飢えているとして、目の前に「それ」が置かれたときに第一に考えるべきなのは「食べるのが善か悪か」よりも「食べるかどうか」である。命を選ぶか正義を選ぶか。生き延びて希望を紡ぐか、ソクラテスのように倫理的に死ぬか。
 そのような思考の先に見えてくるのは『ブラックライダー』は私たちにとって「ステーキか毒杯か」という質問である。

(748字)

 

作品情報

著者:東山彰良

 

おわりに/h2>

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