新海誠『天気の子』読書感想文|世界と生きる意味と天命

目次

あらすじ

 

雨の街で少年は少女と出会う。
彼女は祈るだけで「晴れ」をもたらすことができた。
しかしそれは一時的にすぎない。
晴れを選ぶことができる彼女の「選択」は?
そして彼女と出会ってしまった少年の「選択」は?

 

登場人物

 

陽菜

 

<ねえ、今から晴れるよ>

 

超能力女子高生で完璧ヒロイン。

祈るだけで雨を止められる、100%の晴れ女。

 

<君、泣いてる>

 

帆高

 

<ヤクザは嘘だけど、逮捕されたことはあるよ。東京で審判を受けたんだ>

 

島から家出してきた超クールで大丈夫な映画の主役みたいな少年。

ビッグマックやポテトチップスやチキンラーメンをおいしそうに食べる。

 

<俺はただ、もう一度あの人に、会いたいんだ!>

 

 

<付き合う前はなんでもはっきり言って、付き合った後は曖昧にいくのが基本だろ?>

 

超モテ児童。

なんという陽キャ。

陽菜の弟かつ帆高のセンパイ。

バス停ごとに彼女がいる噂あり。

 

<帆高、全部おまえのせいじゃねぇか!>

 

夏美

 

<君のぉ、想像どおりだよ>

 

もう一人の晴れ女。

見た目が華やか・場の空気を明るく変える力を持つ。

天職は白バイ隊員。

 

<帆高っ、走れーっ!>

 

須賀

 

<もう大人になれよ、少年>

 

もし晴れたら会いたい人に会える有限会社のCEO。

赤いシャツを着てチキン南蛮定食を食べビールを飲む。

 

<まあ気にすんなよ、青年>

 

宮水

 

帆高が陽菜への誕生日プレゼントとして指輪を買ったお店のスタッフ。

3時間以上も選ぶのに付き合ってくれた。

『君の名は。』の三葉か?

 

タキ

 

晴れ女ビジネスの依頼主の孫として登場。

誰かと結婚したらしい(三葉と?)。

『君の名は。』の瀧か?

 

ネタバレあらすじ

 

「あげる、内緒ね」

『え? でもなんで……」

「君、三日連続でそれが夕食じゃん」

少女は短く笑った。そのとたん、雲間から陽が射したみたいに景色に色がついた―ような気が、僕はした。

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,35頁)

 

『天気の子』は「100%の晴れ女」である陽菜と彼女に恋した帆高が

世界を変える物語です。

 

陽菜は祈るだけで天気を晴れにすることができます。

「晴れ女ビジネス」により、フリーマーケットや花火大会を晴れにして報酬を得ていました。

 

「私、好きだな」

「えっ!?」

「この仕事。晴れ女の仕事。私ね、自分の役割みたいなものが、やっと分かった―ような気が、しなくも、なくもなくも、なくもなくもなくもない」

「え、どっち!?」

天気ってなんて不思議なのだろうと、僕は思う。ただの空模様に、人間はこんなにも気持ちを動かされてしまう。

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,125-126頁)

 

私たちは天気ひとつで心の持ちようが変わります。

晴れていれば明るく、雨であれば暗い気分になる人が多い。

 

だから『天気の子』に登場する東京の人々は陽菜の祈りを求めました。

お金と引き換えに太陽が手に入るなら安い買い物です。

 

でも、ほとんどの商売がそうであるように、売上には費用が必要です。

プロ野球のチケットを売るにはプロ野球選手の「身体」が必要なように、「晴れ」を売るには陽菜の「身体」が必要でした。

 

「ボーカロイドみたいな声の占い師に、ラノベの設定みたいな話をえんえん聞かされました。力を使いすぎると消えちゃうとかなんとか」

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,49頁)

 

陽菜が晴れを祈るたび、彼女の身体は透明になっていきます。

人柱。彼女は天気にとって、神様に捧げる生け贄のようなものでした。

 

「人柱一人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね。

俺だけじゃない、本当はお前だってそうだろ?

ていうか皆そうなんだよ。

誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。

損な役割を背負っちまう人間は、いつでも必ずいるんだよ。

普段は見えてないだけでさ」

「それ、なんの話してんのよ」

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,189頁)

 

陽菜は「天気の子」として、自分の役割をまっとうしようとします。

具体的には、自分が消えることで狂った東京の天気を元に戻そうとしました。

 

でも、帆高はそれを受け入れませんでした。

彼は陽菜に消えてほしくないと祈ります。

 

「ねえ、帆高はさ、この雨が止んでほしいって思う?」

あの時僕は、なぜうんと言ったんだろう。

なぜ、天気なんてどうだっていいんだと言えなかったんだろう。

晴れでも雨でも、君さえいればそれでいいのだと、なぜ言えなかったのだろう。

ねえ、陽菜さん。

君のためにー僕に出来ることはまだあるの?

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,248頁)

 

「もういいよ! 陽菜はもう、晴れ女なんかじゃない!」

「もう二度と晴れなくたっていい!」

「青空よりも、俺は陽菜がいい!」

「天気なんて狂ったままでいいんだ!」

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,266頁)

 

「お引越しなさったんですね」

「あのあたりは、一面水に沈んじゃったからね」

「……すみません」

「なんであんたが謝るのさ?

東京から青空を奪ったのは僕なんです。

人々の住む場所を奪ったのは、身勝手に太陽を奪ったのは、僕の決断だったんです。

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,282頁)

 

あの夏、あの空の上で、僕は選んだんだ。

青空よりも陽菜さんを。

大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を。

そして僕たちは願ったんだ。

世界がどんなかたちだろうとそんなことは関係なく、ただ、ともに生きていくことを。

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,290-291頁)

 

陽菜と帆高は雨の降り続く世界を選びました。

晴れ=みんなのしあわせ=陽菜の消滅を受け入れず、

雨=みんなの不幸=陽菜の命を選択しました。

 

東京の空の上で僕たちは、世界の形を決定的に変えてしまったのだ。

(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,15頁)

 

僕たちは、大丈夫だ。

 

読書感想文(1200字、原稿用紙3枚)

KKc
「天職は選ばれるもの」

 

「ちょっと夏美さん!?」
パトカーのサイレンはぐんぐん遠ざかっていく。
「ヤッバいスゴすぎちょっと楽しいっ、私こういうの向いてるかもっ!」
その瞬間、ものすごい名案が私の頭にひらめく。
そうだ、これが私の職業適性だったんだ!
「白バイ隊員になろうかしらーっ!」
(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,236頁)

 

いま日本では「自分の適性に合った仕事に就くべきだ」とか「あなたにぴったりの仕事がきっとみつかる」だとか「あなたの向き不向きを正確に把握した上で転職活動をしましょう」とか、さも当たり前のように言われていますが、私たちそれぞれに「天職」があるとは思いません。

 

インターネットや街中には求人広告や転職広告が数多く存在しています。

 

それらの表面上のメッセージはさまざまですが、中でも強い光を放っているのが「あなたには唯一無二の天職があるんですよ。早く見つけてくださいね」を含むものだと私は思っています。

 

その物語を信じるかどうかは個人の自由ですが、私は信じません。

 

仕事を選ぶ過程は自分から能動的に選ぶのではなくて、『小説 天気の子』の夏美のように、仕事の方から「選ばれる」ものだと思っているからです。

 

仕事の能力については、自分よりも他人の方が、だいたいのケースで、より正確な判断を下すことができます。

 

テニス選手が勝てるかどうかは、選手本人よりもコーチや解説者の方がより正確に判断できます。

 

選手本人が「勝てます」と言うより、外部の人間が「あいつは勝てるぜ」と断言した方がなんとなく信頼してしまいます。

 

仕事の能力については、自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確です。

 

だからきっと「あなたにはこれが向いている」という「外部の声」を幸運にも聴くことができたならば、その声に従ったほうがきっと充実した仕事ができると私は思います。

 

『小説 天気の子』において夏美は偶然にも「外部の声」を聴きました。

 

冒頭に引用した場面ですが、その直後に彼女は作中で(あるいは、彼女の人生で)いちばん充実した場面に出会います。

 

すぐそばでカメラが回っている。
私たち以外はぜんぶ脇役。
世界の全ては私のために用意されている。
私は世界の真ん中に立っていて、私が輝く時は世界が輝く時だ。
ああ、世界はなんて美しいんだろう。
(新海誠『小説 天気の子』角川文庫,240頁)

 

夏美は帆高と出会うことによって「天職」を発見しました。

 

「白バイ隊員」はそれを自分で選んだのではなく、それに自分が選ばれたというプロセスによって夏美の天職たらしめられました。

 

『小説 天気の子』を読んで私が感じたことは、天気が選べないように、転職も自分では選べない、だから、仕事に就くまでは、できるだけいろいろ経験しながら、さまざまな世界に触れながら、「外部の声」を偶然聴けるのを待ち、天職が見つかればいいな、ということでした。
(1166字、原稿用紙2枚と19行)

 

ちょっと長めの感想

 

KKc
「生きていても大丈夫」

 

陽菜と帆高の出会いはファーストフード店です。

 

「あげる、内緒ね」

『え? でもなんで……」

「君、三日連続でそれが夕食じゃん」

少女は短く笑った。そのとたん、雲間から陽が射したみたいに景色に色がついた―ような気が、僕はした。

 

三日連続でさみしい夕食を摂っていた帆高に陽菜がハンバーガーをプレゼントしたことで二人の関係は始まりました。

その後陽菜は帆高の提案によって「晴れ女」に転職します。

 

「ファーストフード店のバイト」という「誰にでもできて、誰にでも代替できる存在」から「晴れ女」という「陽菜にしかできない、誰からも必要とされる存在」への転換です。

この転換を皮切りに『天気の子』は「始まった」と私は思います。

 

自尊感情、言いかえると「私たちが自分自身を大切に思う気持ち」は「オレはえらい」と自分に言い聞かせることからは生まれません。

 

そんな陳腐な宣言よりも私たち自身に自尊感情を強烈に芽生えさせるのは「私にはあなたが必要です」という他人からの「祈り」です。

自尊感情は他者からの要請によって生まれると私は思います。

 

『天気の子』において陽菜は晴れを祈ることを通じて、他者から「あなたが必要だ」と祈られる存在になりました。

 

「私にはやらなければならない仕事があり、それは私以外ではできない仕事である」と思うとき、人間は生きる力、生きていくためのエネルギーが湧いてくると私は思います。

 

「私、好きだな」

「えっ!?」

「この仕事。晴れ女の仕事。私ね、自分の役割みたいなものが、やっと分かった―ような気が、しなくも、なくもなくも、なくもなくもなくもない」

「え、どっち!?」

 

「東京の晴れのためにあなたが必要だ」と言われることは陽菜にとってどんなにうれしい称賛の言葉だったでしょう。

帆高は「好き」という告白を「自分に言われた」言葉だと一瞬勘違いをしていますが(かわいい)、彼はその鈍感さゆえに、クライマックスで重要な役割を果たします。

 

彼が必要とされる場面は、ライターの手伝いでも、アプリの立ち上げでも、拳銃を発砲する場面でもなく、陽菜が晴れと引き換えに消滅しようとするその直前の場面だと私は思います。

 

彼は天気でも、人々でも、東京でも、世界でも、自分でもなく、「陽菜そのもの」がいいと叫びます。

 

「もう二度と晴れなくたっていい!」

「青空よりも、俺は陽菜がいい!」

 

陽菜は人々から求められることで「私はかけがえのない存在である」と自覚しました。

 

ふつう「私はかけがえのない存在である」と思ったら「だから私は生きなければならない」と考えます。

 

「自分しか家族のために食事を用意することができない」状況にあるお母さんたちは、生きるエネルギーに満ちていると私は思います(「自分しかこの仕事はできない」状況にあるサラリーマンは、生きるエネルギーに満ちているかどうか微妙ですが)。

 

『天気の子』が残酷なのは「私はかけがえのない存在である」だから「私は死ななければならない」というねじれた結論が導き出されたところです。

 

「だからあなたは生きないで」を陽菜は直接的に言われたわけではありません。

でも、彼女はその使命感ゆえに弾きだされた運命に向かって、ねじれた行動を実行しようと天に昇ります。

 

ねじれてしまった「だからあなたは生きないで」を陽菜自身が壊すことは不可能でした。

それを壊すことができたのは、帆高でした。

 

帆高は彼女を救いたかった。

そのために彼は、陽菜をいったん否定する必要がありました。

彼女は「天気の子」である限り、生きていてはいけません。繰り返しになりますが、それが彼女の「仕事」であり「死ぬ意味」だったからです。

 

「もういいよ! 陽菜はもう、晴れ女なんかじゃない!」

 

電撃的なこの言葉によって、帆高は陽菜という「天気のために死ぬ存在」を否定しました。

決定的な願いの表明により、彼女を一瞬にして「帆高のために生きる存在」に変えてしまいました。

 

そして陽菜は、帆高の代わりに涙を流します。

 

彼には私がいなければならない。だから生きなければならない。

 

陽菜が生きるために必要だったのは、祈るよりも、天気よりも、世界よりも、死ぬことよりも優先すべき対象でした。

対象があれば、「晴れの祈り」が生きる活力になったときと同じように、帆高を想うことで「だから私は生きなければならない」と強く生きることができます。

 

帆高は陽菜から「死ぬ理由」を奪った上で「生きる理由」を与えましたが、それは「東京のやまない雨」という大きい災厄と引き換えです。

 

帆高の活躍によって陽菜は死ぬことを免れましたが、帆高自身は自分が行った選択を引きずったまま3年を過ごします。

 

「お引越しなさったんですね」

「あのあたりは、一面水に沈んじゃったからね」

「……すみません」

「なんであんたが謝るのさ?

東京から青空を奪ったのは僕なんです。

人々の住む場所を奪ったのは、身勝手に太陽を奪ったのは、僕の決断だったんです。

 

物語はここでは終わりません。

関わった人々と再会を果たし大人になった彼は、ラストシーンで新たな結論を得ます。

 

「ぼくたちは、大丈夫だ」です。

 

あの夏、あの空の上で、僕は選んだんだ。

青空よりも陽菜さんを。

大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を。

そして僕たちは願ったんだ。

世界がどんなかたちだろうとそんなことは関係なく、ただ、ともに生きていくことを。

 

陽菜はもう「天気の子」ではない。

「100%の晴れ女」はもうどこにもいない。

だから、彼は選んでしまった天気から背を向けるのではなく、選択の結果である、涙のような雨が降る世界を「大丈夫だ」と肯定することを決意しました。

 

「ぼくたちは、大丈夫だ」の「ぼくたち」には帆高だけでなく陽菜も含まれています。

 

陽菜と帆高はともに「世界を晴れにしなかった存在」です。

 

でも「生きていても大丈夫」です。

 

陽菜は「帆高に必要とされているから」。

 

帆高は「陽菜に必要とされているから」。

 

彼らは、世界がどうなっていても、雨の日も晴れの日も、病めるときも健やかなるときも、どんなときも「生きていても大丈夫」です。

 

だって、世界はもう彼らの小さな肩に乗ってはいないのだから。

 

(2480字)

 

<参考>

成功について|内田樹の研究室

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

そのほかの「読書感想文」はこちらから。

<参考>

仕事力について|内田樹の研究所