目次
あらすじ
臼井さんは義肢装具士。
手足を失った人のために、義手や義足を作る人です。
日常用のものだけでなく、スポーツなど激しい運動にも耐えられるものを作っている臼井さん。
彼のプライドと誇りにしびれます。
<新しい人生を、前向きにふみだすきっかけづくりがしたい>
【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)
もし自分が手足を失ったら、どう考えるか想像します。
明日のことはわからない。昨日のことはかわらない。そんな気持ちで、世界が真っ暗に見えるはずです。
でも、そんなとき、臼井さんのような義肢装具士が現れたとしたら。
私の好きなマンガ『鋼の錬金術師』では、主人公・エドは鋼でできた義手と義足を持っています。
彼は錬金術師なので、それらを自由に作り変えて、武器にして戦ったり、工具にして街の姿を変えたりします。
何でも作れる錬金術師にも、たったひとつだけ作れないものがあります。それは「人間」です。
彼は過去に大きな失敗をして、手足(と弟の身体)を失いました。その絶望に希望の灯をともしたのは、義肢でした(彼には専属の義肢装具士がいます)。
<立って歩け 前へ進め あんたには立派な足がついてるじゃないか>
これは、絶望に染まっている女性に向けてエドが言った言葉です。
自分のように義足になったとしてもまた立ち上がり、目的を持って生きている人間がいるのだから、立派な足(義足ではないという意味)を持っているあなたも、前向きに生きることができるはずだろうという意味のメッセージです。
人間にとって手足はとても大切なものです。それがないと、進むことはとても困難になります。義肢装具士がいるおかげで、手足を失った人でも、日常生活を支障なく送ったり、スポーツをしたり、戦ったり、そんなことができます。
もちろん、身体を痛めたときや失ってしまったときは、車椅子や杖を使っても、動くことはできます。でも、義肢があれば、生活の幅はぐっと広がるのです。
杖を持って行動していると、人や物にぶつけないだろうかだとか、座ろうとしたときに置き場所は迷惑じゃないだろうかだとか、いろいろ考えてしまいます。
車椅子で行動していると、歩いているときは気にならなかった段差や階段、道幅や坂道が気になります。
私は義肢を使ったことはありませんが、杖や車椅子に比べて、ひっかかることや違和感を持つことは、おそらく少ないんじゃないかと思います。
私たちの身体はたぶん、手足があることでバランスがとられるように設計されているはずですから、外側になにかを付けるよりも、欠けた部分を補うものが自然であるように思います。
「人を生かす手」で作られた「立派な足」は、まるでそれが最初から存在していたかのように、自分になじむだろうなと思いました。
(996字,原稿用紙2枚と19行)
おわりに
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