芥川龍之介『鼻』読書感想文|自分を認めること

目次

あらすじ

 

 内供(ないぐ)という鼻の長い僧侶がいた。
 「鼻を短くしよう」とか「鼻について気にしないようにしよう」とか色々試してみたが、効果はなし。

 あるとき「長い鼻を短くする方法」を弟子から教わる。それをやってみると鼻は短くなった。
 はじめ内供は喜んだが、あとになるとかえって人目が気になるようになった。

 ある朝起きると、以前のような長い鼻に戻っていた。
 内供ははればれとした気持ちになった。

 

【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)

 

KKc
「自分を認めること」

 

 夏休みなどで遠出をすると楽しいのですが、ぜんぶ終わって帰ってくると「やっぱり我が家がいちばん」と思ってしまうことってよくあります。
 私は、芥川龍之介『鼻』はこういうお話かな、と読む前に思っていました。

 

 長い鼻を持った人がなにかの方法でいったん短くなるけれど、結局元の鼻に戻ると、どこかで聞いて知っていたからです。
 慣れ親しんだいつもの自分の生活がいちばんすばらしい。そんな教訓の小説だと思っていました。

 

 でも今回読んで、それとはちょっと違う物語だと思いました。
 主人公・内供を通して「まわりの目を気にしすぎるな」というアドバイスを私はもらいました。
 これからその理由を書きます。

 

 内供は「自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だった」と書いています。
 だからもし鼻が短くなれば、人は「内供は自分の鼻を気にしている」と思わなくなるだろう、と彼は考えます。

 

 そしてある弟子の秘法によって内供の鼻は短くなり、周りのみんなの反応も変わります。
 それは大まかに分けて三つです。

 

 一.以前よりもじろじろ鼻を見られるようになった。
 二.目の前で、こらえていた笑いを吹き出されるようになった。
 三.内供が背中を向けた途端に、くすくす笑われるようなった。

 

 この中で一番目は内供の気のせいだと思うことができますが、残りのふたつはそうとは言い切れません。

 

 内供は前よりも笑われることが多くなった理由を次のように考えます。
 「傍観者の利己主義」だと。

 

 これは内供によると「ふつう人間は他人の不幸に同情する。しかし他人がその状況を切り抜けたとき、その人をもう一度同じ不幸に陥れてみたい気持ちが生まれる」というふうに書かれています。

 

 内供の周りの人は「内供の鼻が長いのはかわいそう」と思っていたのだけれども、短くなった瞬間に「また元の長い鼻に戻ればいいのに」と思うようになったということです。

 

 正直、私にはよくわからない気持ちです。
 私は友だちがテストでいい点をとるとうれしいし、大きなケガから復活したスポーツ選手が活躍するとうれしいです。
 少なくとも「また悪い点をとればいい」とか「別のケガをして引退すればいい」とは考えません。

 

 だから私は、内供はきっとこの「傍観者の利己主義」というよくわからない考えで、自分のほんとうの気持ちをカムフラージュしていたのだと思います。

 

 私は『鼻』を読んで、内供は「長い鼻がイヤ」なのではなく「笑われるような見た目をしている自分がイヤ」だと思っているのだなと感じました。

 

 「長い鼻がイヤ」だったなら鼻が短くなったら問題は解決して、お話は終わっているはずです。
 でも実際は終わるどころか、今度は「短い鼻がイヤ」と思い始めます。

 

 そして都合のいいことに、ひと晩明けると内供の鼻は元通りになりました。
 内供はとてもはればれしい気分で喜びます。

 

 『鼻』はここでおしまいです。
 でももし物語が続くとしたら、また内供は「長い鼻はイヤだ」と考えるはずだと私は思います。きっとそうです。

 

 そしてその次は「短い鼻」「長い鼻」「短い鼻」「長い鼻」……と続いて、悩みはぐるぐる回って解決しない、となると想像しました。

 

 この悩みを解決する方法のひとつは、「人目を気にしすぎないこと」だと思います。
 内供が今までどおりに人目を気にし続けると、どんな鼻の長さになっても満足しないだろうと思うからです。

 

 必要なのは「私はこのままでいい」という自分を認める気持ちだと思います。
 これが、私が『鼻』を読んで感じた芥川龍之介からのアドバイスです。

 (88行,原稿用紙4枚と8行)

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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