目次
あらすじ
「今のあなたの気持ちを当ててみましょうか。ズバリ、嫉妬です」
今まで両親の愛情を独占していた「くんちゃん」。
突然やってきた赤ちゃん「ミライちゃん」にふたりの愛を根こそぎ奪われてしまった。
“なにかあったら、守ってあげてねー”
そんなことを言われてもくんちゃんはミライちゃんを好きになれません。
くんちゃんの前に「未来からおひなさまを片付けに来た」と言う少女が現れる。
右手に赤いアザのある少女を「ミライちゃん」だと気づくのに時間はかからなかった。
過去と未来のタイム・スリップ・スペクタクル・ロマン!
くんちゃんが「お兄ちゃん」になるための夏が始まった!!
名言
おかあさん
「前から好きだよね。ほかのお母さんの前で”優しいお父さん”の顔をするの」
おかあさん
「手がかかる子の方が親に愛されるなんて知らなかった」
おかあさん
「ミライ飛行ーっ」
※同名楽曲が徳永英明に存在する。
おかあさん
「そこそこで充分。最悪じゃなきゃいいよ」
ミライちゃん
「何か一緒のことをすると、仲間意識ができて仲良くなることもあるんだって。どう? わたしのこと、少しは好きくなった?」
ミライちゃん
「こんなふうな、ほんの些細なことがいくつも積み重なって、『今』のわたしたちを形作っているんだ」
くんちゃん
「ズボンといい思い出、どっちが大事なんだよ」
くんちゃん
「好きくないじゃないじゃないじゃないじゃないじゃないっっっ」
くんちゃん
「くんちゃんは、ミライちゃんのおにいちゃん!!」
遺失物係
「迷子。では、亡くしたものは、自分自身、というわけですね?」
ひいおじいちゃん
「お恵ちゃんは足が速いなあ。負けるかと思った」
くんちゃん&ミライちゃん
「……お別れなの?」
「なに言ってんのよ。これからうんざりするほどいっしょにいるじゃん」
読書感想文(2000字、原稿用紙5枚)
「未来のミライ」に登場する犬・ゆっこはミニチュアダックスフントの王子様です。
なぜ犬を飼ったのかというと、おかあさんが猫を苦手だったからです。
なぜおかあさんは猫が苦手かというと、むかし、野良猫にいたずらされてしまったツバメのヒナを見てしまったからです。
それ以来、おかあさんはあんなに好きだった猫が苦手になってしまいました。
くんちゃんは、いま家にいるのが猫ではなくて犬、つまりゆっこである上記のような理由を過去にタイム・スリップすることで知ります。
庭にある白樫の木がそのためのキーでした。
すべての物事には理由があります。
誰にとっても、その人がその人になるためにたどってきた歴史があります。
もちろん私たち自身にも、自分が生まれるまでの歴史が、白樫の木の葉っぱのように脈々と存在しています。
『未来のミライ』はくんちゃんがそのことを知るための物語だと私は思いました。
私たちは、兄として生まれてくることはできません。
兄とは、そのあとに弟や妹ができてはじめて呼ばれるものです。
なにかが起こったあとにその意味を見つけられるという意味では、「兄」は「過去」に似ています。
過去は、そのことが起きている時点、そのことが起こっている最中には「今」としか認識されないため、わりとあとになってから「あ。あのときのことって、おれの人生のなかでこういう意味があったのか」とぱっと思い浮かぶことがあります。
くんちゃんは、時間を移動するたび成長していきます。
おかあさんの過去から戻って来たくんちゃんはおかあさんの頭をやさしく撫で、ひいじいじと馬に乗った後、自転車に乗れるようになりました。
くんちゃんは自分の家族の系譜・ルーツをたどることを通して、自分が「家族」という大きな流れのひとつであることをていねいに確認していきます。
それによって、「赤ちゃんが生まれてしまった」という最初は流されるだけだったいやな状況に新しい意味を見つけられるようになりました。
流されるままの運命ではなく、人生において次々起きてくる運命を愛すること、それらを前向きにとらえていくことをくんちゃんは身をもって学んでいきます。
ラストシーンで彼は、ミライちゃんの下の歯が2本だけちょこんと生えているのを見つけます。それを見てくんちゃんは「清々しい気持ちになった」と書かれていますが、これは、彼がこれからのこと、未来のことをポジティブにとらえられるようになった証左だと私は思いました。
くんちゃんは夏の冒険を通して「お兄ちゃん」になったのです。
一時は、家族旅行に背を向けることで「迷子センター」に行くほどに自分を見失いましたが、ミライちゃんを助けるために行動したことで彼は「兄」になり、家族の繋がりを見つけ、元の世界に戻ってこられました。
<“なにかあったら、守ってあげてねー”
何か月も経って、その意味がやっとわかった気がする。
そのとたん、胸の中に、今まで感じたことのない気持ちが込み上げてきた。
「くんちゃんは……、くんちゃんは……」
顔を上げると、まるで世界中に宣言するように、渾身の力で叫んだ。
「くんちゃんは、ミライちゃんのおにいちゃん!!」>
過去は、気が遠くなるほど果てしなく重なっていく。
未来もまた、気が遠くなるほど果てしなく重なる。
今という場所はそのわずか一点でしかない。
「今」と感じた瞬間には別の「今」が待ち受けている。
永遠に今という時間は過ぎ去り、永遠に新しい今がやってくる。
くんちゃんにあてられた「訓」という漢字は「導く」という意味を持っています。
過去を知り、「未来」を導いていく。
もしかしたら「訓」という名前がつけられた時点で「未来」という名前もまた宿命的に決まっていたのかもしれません。
彼が未来を導いた先の、未来の未来には、どんなことが待ち受けているのでしょうか?
白樫の木は、ずっとそこにあります。
(1605字、原稿用紙4枚と15行)
おわりに
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