目次
あらすじ
劉連仁(りゅうれんじん)は中国人。1944年に北海道の炭鉱に連れて来られ、強制的に働かされた。
彼はそこから脱走し、北海道の山中で13年生き抜いた。
狂わされた人生と奪われた尊厳と残酷な記録。
生きる強さを考えるための読書。
【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)
昭和の時代に日本は中国と戦争を行いました。
社会の教科書的には、たぶん紙面スペースの都合上で載せられることのないエピソードがたくさんあります。『生きる:劉連仁の物語』は、そのような悲痛な物語のうちの一つだと思います。
劉さんは、1944年9月中国で日本軍に捕らえられ、10月に山口県の下関に運ばれ、11月に北海道の炭鉱に放り出されました。
たったひとりの中国人にそのような長距離移動をさせるのは、とても採算が合わないことだと考えられていたので、劉さんの他にも数多くの中国人が北海道に送り込まれました。巻頭に付けられた地図では、北海道や日本海側を中心に135の強制労働事業所が示されています。私の住んでいる場所の近くにもありました。
当時の日本人は、彼ら「敵国」の外国人を「人間」としてではなく、完全なる「道具」あるいは「労働力」として見ていました。
以前読んだ遠藤周作『海と毒薬』では、アメリカ人を生きたまま解剖していましたし、小林多喜二『蟹工船』では、身分の低い日本人をこき使っていました。人間を人間としてではなく、自分の目的を達成するための手段として扱う、という考え方がそのころはそんなに抵抗がなく広まっていたのかもしれません。
『生きる:劉連仁の物語』を読むと、ほとんど誰もが「戦争の悲しさ」を感じることができると私は信じていますが、そこからさらに踏み込んで、「人間として生きること」を考えることも同じくらい大切なのでは、と思いました。
著者の森越智子さんがタイトルを単に「劉連仁の物語」とはせずに、「生きる」を付け『生きる:劉連仁の物語』としたところからも、本書を通じて「人間として生きること」を考えることが暗に求められていることがわかります。一年の半分以上が冬である北海道で13年間サバイバルした劉さんの生きざまは、とても参考になります。
誰かに言われるままに生きていくこと。誰かに自分を使われるだけで生きていくこと。「こうして生きていくしかないんだ」と今の自分の状態に甘んじて生きていくこと。消しゴムのように、消耗品としてすり減っていくだけの人生を過ごすこと。
そのような生き方は「人間らしい」と言えるでしょうか。
私は人間らしく生きるために重要なのは「自分に正直になること」だと思いました。
なにか巨大な壁のようなものの目の前に立たされたとき、私たちは卵のように無力です。ぶつかってしまったら、簡単につぶれ、デリケートな中身が露出します。それはできることなら避けるべき未来です。
でも、それまでの生き方によっては、嫌だったとしても、そのような行動をしなければならなくなる時が来るかもしれません。「家族のため」だとか「国のため」だとか、自分よりも大切(だと思っているようなこと)のために自分がつぶれなければならないような状況に立たされるかもしれません。
私が『生きる:劉連仁の物語』を読んで考えたのは、そんな絶体絶命のピンチになる前に、自分に正直になって、自分を大切にするような生き方をあらかじめ選択していった方がよい、ということです。
劉さんを山中生活の間支えてくれていたのは、自分を大切にする気持ち、自分の望まないことに自分は絶対に関わらないという気持ちだったと私は推測します。中国人を強制労働させるような国では絶対に死なないという強い意志で毎日を過ごしていたのではないかと私は思います。
困難な状況にあっても、自分と向き合い、自分に嘘をつかない生き方を選択すること。そのような人生を送ることができたのなら、死ぬときまでずっと「悔いのない人生だ」と思い続けて死んでいけるのではないかと私は思います。
そしてそれは誰が何と言おうと「幸福だった」と語り継がれる生き方のうちのひとつだと私は思います。
(87行,原稿用紙4枚と7行)
おわりに
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