目次
あらすじ
お金がない。コネもない。
ネパールに渡った著者は何者だ?
”想い”だけでゼロから学校を作った男の軌跡。
読書感想文(2000字、原稿用紙5枚)
ヨーグルトとかアイスのふたの裏に付いた少量をどうするかには意見が分かれるかと思います。
「迷わずなめとる」と胸を張って言いたいところですが、恥も外聞もないわけではありませんのでためらわれます。
かといって「そのまま捨てる」というのもたいへんもったいない気がします。「日本人のすばらしいところは”もったいない精神”だ」と外国の方が言っていたような気がしますが、あれってほめているのかけなしているのか、けっこうデリケートなところがありました。たぶんほめているつもりで主張していたと思うんですけど。
そんなわけで実のところ「迷わずなめとって」いるのですが、訊かれた場合はそれをストレートには表現せずに、周りの様子をうかがって「なめる派」と「なめない派」の均衡を確かめた上で自分の意見を表明します。
なんとなく「なめる派」は「自分は貧乏性です」と宣言しているようで気が引けるのですが、世界に視点を広げれば、そもそも小分けされたヨーグルトだとかハーゲンダッツアイス(抹茶味)だとかをコンビニでペイペイを使って買うことができる時点で経済的には貧しくないはずですが。
日本に住んでいるとネパールほどの「想像を絶する貧しさ」を目の当たりにする機会はそうありません。
寒さをしのぐためにトウガラシを身体にすりこむエピソードが出てきますが、日本だったらかろうじてテレビのバラエティー番組であるかないかの光景だと思います。私以外の日本人もトウガラシを防寒のために使う人を見たことも想像したこともないという方が大半でしょう。
「貧乏」と「貧困」は違うとどこかで聞いたことがあります。
「貧乏」は精神的な問題、というか心の持ちようの問題で、物理的にお金があるかどうかに関わらず、「貧しい」態度をとってしまうこといいます。
「貧困」とは物理的にお金がない状態、あるいは衣食住などのちゃんとした生活を営む上で必要な物資がそろっていない状態をいいます。
『ヒマラヤに学校をつくる』の著者は「貧困」から抜け出すには教育しかない、という熱意をもっていました。福沢諭吉も「勉強すればいい思いができるよ」と『学問のすすめ』で書いています。
現に「貧困」状態にあるサマ村の子どもたちには、勉強がどうやって貧困から抜け出す手段たりえるのか、その理路がわかりません。勉強の意味は勉強した後になってからでないと理解することができないからです。
子どもに割り算を教えるときに「ワリカンするときに便利だよ」とか「スケジュール管理に革命が起きるよ」とか、そういうことを言ってから勉強させようとしてもあまり効果はありません。実際にワリカンする場面だったりスケジュールを考える場面で割り算を使わなければその有用性が実感できないから。
子どもに野球を教えるときに「送りバントの戦術的価値」をしっかり理解させてから送りバントを練習させるコーチはいないでしょう。子どもはアウトひとつをわざわざ献上してまでなぜランナーを進めなければならないのか、その行動の意味がおそらくわからない。送りバントの意味がわかるのは送りバントがある程度できるようになってからです。
著者が「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」をスタートさせたとき、そのプロジェクトの価値を正確に理解できる子どもはおそらくいなかったと思います。
教育の価値は教育を行う前には測ることができず、教育を受けた後、それが5年後なのか10年後なのかあるいは50年後なのか臨終の間際なのかはわかりませんけど、とにかく「後日」になってからしか、しみじみと「あ、勉強してよかったな」と実感することはできません。
「クラーク記念ヒマラヤ小学校」が開かれたのは2004年ですが、学校の価値が真の意味で認められるのはいつになるかわかりません。
でも、いつか必ず教育の価値は花開きます。
教育を受けた世代が将来村を支える屋台骨となったときに学生時代を振返って「あぁ、思えばあのとき日本人に学校を作ってもらってよかったな」と後世が思ってくれたときこそが「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」成果の発生地点です。
そのような未来なら、村の子どもたちが電子マネーで買ってきたアイスのふたの裏をにこにこしながらなめているような気がします。
「そこがいちばんおいしいんだよね」と話しかけたい、私の空想するまだ見ぬ世界の行く末です。
(1798字、原稿用紙4枚と19行)
おわりに
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