目次
あらすじ
コンビニで18年間アルバイトをしている古倉恵子は36歳独身。
自分が「普通ではない」と自覚し、小さい頃から周りに合わせることが苦手だった。
彼女の「コンビニ人間」としての生き様を楽しむ小説。
感想
「不夜城」とは、夜の間も日中と同じように明るい場所のことを指します。
1878年に伊藤博文は、東大工学部の講堂に電灯を張り巡らせることで「不夜城」を作り上げました。
当時から150年ほど経過しました。
現代では、「コンビニ」という名の不夜城が街中そこいらに乱立しています。
年中無休24時間営業の不夜城は、「現代が手にした永遠」と言われることもありますが、その永遠性は、コンビニ店員によって担保されたものです。
コンビニ店員すなわち「コンビニ人間」が不夜城の歯車となり、世界を明るく照らし続けています。
『コンビニ人間』の主人公は、そんな「コンビニ人間界」において最高の存在として描かれています。なぜなら彼女はコンビニにおける「生きる術」を完全に身に着けた存在だからです。
コンビニのために存在し、コンビニのために生きる。そんな姿が小説中でありありと晒されています。
不夜城、永遠のものの中で完全に生きることは、幸せなことなのでしょうか。
主人公は、コンビニで生きていく上で「普通」を強く意識して行動しています。
コンビニはそれ自体が「普通」なのです。
「コンビニでしか買うことができないもの」って、究極的にはないんじゃないかと思います。
おでんも鶏のから揚げも雑誌もお酒も弁当もお菓子もアイスも、突き詰めて考えればコンビニだけでの独占販売というわけではありません。
品物自体も特別ではありません。
セブンで買うコーヒーはどこで買っても同じ味がするように作られているはずです(確かめたことはないので憶測ですけど)。どこも同じということは「普通である」ことを連想させます。
したがって、「特別」が置いていないということは、背理法的にコンビニは「普通」であると言ってもよいと私は考えます。
「普通」の箱の中で生きていこうと思ったら、当たり前ですけど、その内部にいる人間は「普通」であらねばなりません。
「普通の人」も「普通じゃない人」も、「普通であること」を強制されます。それこそが「コンビニ人間」だと私は思います。
私たちはみな「人間である以上、コンビニ人間」と作中で語られていますが、なんだか悲しいですね。
おわりに
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