村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』感想|欲望に手を伸ばす

あらすじ

 名前に色を持つ4人の友人(赤、青、白、黒)と多崎つくるは高校時代まで、とても仲が良かった。
 大学に入り、つくるは突然彼らから絶交を言い渡される。
 16年後、恋人・沙羅の後押しによって、つくるは4人に拒絶された理由を明らかにしようと決意し「巡礼」の旅に出る。

感想

 タイトルに含まれている「色彩を持たない」には二つの意味が含まれています。
 ひとつは「多崎つくる」という名前に「色」を表す文字が含まれていないことです。
 もうひとつは昔仲良くしていた、名前に「色」を持つ友人たちと、多崎つくるは今現在疎遠であるということです。

 

 はじめてタイトルを見たとき、多崎つくるは何か目に異状を抱えた人物なのかな、と思いました。
 色を感じるための組織や器官が先天的に欠如、あるいは事故などで損傷してしまった人が主人公なのだな、と考えながら書店で手に取りました。

 

 読み始めるとすぐに、私の認識は間違っていたことがわかりました。
 損なわれていたのは、彼の心でした。多くの村上春樹の長編小説がそうであるように、主人公である多崎つくるは、心に傷――すなわちトラウマを抱えた人間でした。

 

 この物語は、彼が今まで目を背け続けていたその問題を直視し、そしてそれを乗り越えていく過程です。
 彼の「巡礼」の旅は日本国内にとどまらず、北欧・フィンランドに到ります。私の感想では、この小説はハッピー・エンドです。とてもよい小説でした。

 

物語の最後で、「つくる」は自分の欲望にようやくまっすぐに向き合う。彼は求めるものを言葉にして、求めるものを抱き寄せて、自分の欲望の「引き受け手」になることを決意しようとしている。その望みが達成されるかどうか、私たちには知らされない。でも、とりあえずこの欲望は引き受け手を見出した。それは彼自身を傷つけることはあっても、他の誰かを傷つけることはもうないはずである。
(内田樹『もういちど村上春樹にご用心』文春文庫,302頁)

 

 つくるは恋人・沙羅が要請した「本当に欲しいもの」を見つけ、それに正直に手を伸ばすことを決意しました。
 無責任な欲望は誰かを傷つける。何かを欲望するのなら、他ならぬ自分自身がその欲望の「引き受け手である」と堂々と宣言するべきである。

 

 それはたぶん、私たち個人がそれぞれ気持ちよくそれぞれ生きていくための知恵ではなくて、むしろ私たちが一緒に、共同体を作って生きていくような知恵だと思います。
 そしてそれは世界中で通用するものであるがゆえに、村上春樹は「世界作家」としてポピュラリティを獲得したのだと私は思いました。

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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