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あらすじ
<すべてをうばいさった、あの原爆。でも、このかぞくが生きたあかしを消すことまでは、けっしてできません>
1945年8月6日、広島へ原子爆弾が落とされ、鈴木六郎さん一家は消えてしまいました。
無事だったのは別に保管されていた家族写真だけでした。
読書感想文(1200字、原稿用紙3枚)
「この笑顔が ずっとつづくと 思っていた」
帯に書かれたこの文は、本を読む前でも悲しい言葉ですが、読んだ後はもっと悲しい言葉になります。
どんなに楽しい時間も、突然終わる可能性があります。
原爆だけではなく、私たちの命はいろんなことで、ふいに失われます。
だからこそ、私たちは今を永遠にしたくて写真を撮るのかもしれません。
カメラを向けられたとき、どんな顔をしていいかわからなくて、びみょうな笑顔になってしまうことがよくあります。
『ヒロシマ 消えたかぞく』を読んで、写真を撮られるときの笑顔は、シャッターを切る人に向けられた笑顔じゃなくて、あとでその写真を見た人に向けられた笑顔なのだな、と思いました。
撮影する人に向かって笑う、って考えるとなんとなく恥ずかしくなっていましたが、将来の自分に向けて笑うんだ、って考えると気持ちが楽です。
未来の自分に近い人といえば、両親だと思います。
「手ぬぐいの袋にはエビが五、六ぴきはいる 気持ちのいい夏の朝だ ぼくの子ども時代そっくりだ ぼくの二世も始めた その次の三世も そっくりやるだろう」
私はお盆の時期におじいちゃん・おばあちゃんの家に遊びに行きます。
近くに川があって、水をばしゃばしゃして遊ぶのですが、親はこんな気持ちで子どもを見ているんだな、と発見がありました。
自分が親に似ていると言われると、なぜかむっとしてしまうのですが、たぶん私も親になれば同じようなことを考え、同じようなことを言うんだろうなとも思いました。
今となってはどうしようのない感想ですが、鈴木さんの家族が、何事もなく続いていけばよかったのに、と読みながら思っていました。
「うちは、いつもにぎやか。おとうさんが写真をとるのがすきだから、すぐにわたしたちをわらわせるの」
この本を読む前は、私は戦争を教科書でしか知らなかったので、戦時中の日本はとても暗い雰囲気だったんだろうな、と想像していました。
『ヒロシマ 消えたかぞく』を読んで、私が想像していたような暗い雰囲気ばかりではなかったということがわかりました。
暗い部屋で読書灯が目立つように、暗い雰囲気の社会ではむしろ、明るい家庭がもっと明るく、楽しく見えるのではないかと思いました。
家族は消えても、家族の明るさは写真とともに、今日まで残っています。
(967字、原稿用紙2枚と17行)
おわりに
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