目次
あらすじ
少女の戦いは、大戦と共に始まった。
歩くことができずにアパートに閉じ込められ虐待を受けていた少女は、10歳になったときに「練習」を始めた。
彼女は戦争の疎開と同時に、弟と逃げ出すことを決意。
逃げ切って、生きていくのが戦いだ。
読書感想文(2000字、原稿用紙5枚)
「逃げるな! 生きる方が戦いだ!」という有名な言葉がありますが『わたしがいどんだ戦い1939年』においては、「逃げて生きること」こそが戦いです。
始まりの舞台は第二次世界大戦中のイギリス、ロンドンの貧困街。時代はヒトラーの部隊の侵攻に世界が恐怖していたころ。
主人公・エイダは外の世界を知らずに育っています。右足にハンディキャップを抱えていたため、閉じ込められた生活を母親に強いられていました。いつの時代も弱者は虐げられる運命にあるのでしょうか。
エイダのすごいところは、自分の運命に対して「戦い」を挑んだことです。泣き寝入りや諦めや焦燥にとらわれずに、自身の新たな運命を切り開くために、生まれてから時針が10年を数えた時点に、しめやかに、ひそやかに、彼女は歩く練習を始めました。
チャンスというものは、それが目の前に現れたとしても、その前髪をつかむ準備ができていなければ意味がありません。エイダは弟が疎開するというチャンスの前髪をつかみました。イギリスのケント州に「逃げ出し」、その新しい世界でまた「戦って」いきます。
ところで最近気が付いたのですが、どうやら私はいわゆる「O脚」のようなのです。
脚をまっすぐ閉じて立ったときに「オー」のように両脚にすき間ができています。それまで自分の脚については特別の意識を払ったことがなかったので、すこしびっくりしました。
O脚は健康上あまりよくないといううわさを耳にしたので、適度に矯正のための体操やストレッチ等を行っています。これで歩行速度が上昇したら、私もいつか逃げることができるか知らんと想像上でうきうきしています(何から?)。
『わたしがいどんだ戦い1939年』における戦いは2つあります。ひとつは第二次世界大戦。もうひとつはエイダ自身の戦いです。
彼女はハンディキャップをぶら下げながらも「自分らしく自由に生きること」をもとめ戦います。
疎開したとしてもその戦いは続きます。いったん居心地のいいところに慣れてしまうと元の場所に戻るのが辛くなるという理由から、ケント州のスーザンにそっけない態度をとってしまいます。
慣れてはいけない。また、心をより添わせてはいけない。信じたいけど信じることができない。そんなふうに四六時中考えているのは、「戦い」の最中にいることの証左に他なりません。安住は心の隙を産み、心の隙は油断を招き、身を滅ぼす元となります。
表紙の絵のエイダは足を隠すように描かれていますが、彼女の「弱いところを見せない」姿勢が表れたすばらしい構図だと私は思います。桶狭間の戦いでの織田信長のように、弱いところこそ敵から狙われるのが戦の定石です。
本書には「メインの戦い」だけでなく、さまざまな「局所的な戦い」もあり、そのすべてによってエイダは成長し強くなってゆきます。人を成長させるのは甘やかしとか過保護ではなく、試練とか努力だというのは古今東西天地開闢以降老若男女に共通する考え方でしょう。そして、辛いからこそラストシーンは感動的です。溶けるほど澄んだ空のように。
原題 “The War That Saved My Life” の”War” にはたくさんの意味が込められていましたが、”Saved My Life” にもたくさんの意味が込められています。なぜなら、”Saved” されたのはエイダだけではなくスーダン、そしてたぶん、読者である私たちも含まれています。
おそらく、『わたしがいどんだ戦い1939年』を読んだ人は何らかの形で何かしら「救われる」ように小説が作られていると私は思います。戦争が虐待から子どもを救ったように、小説も誰かの人生を救うことができるはずです。
エイダが自分自身で、自分の力で、自分だけのの人生を勝ちとったように、私たちも力強く生きていかなければなりません。
力強く歩き出すために、とりあえず私は、O脚改善をとりあえずの目標とします。おー!
(1619字、原稿用紙4枚と8行)
おわりに
キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー(大作道子訳)『わたしがいどんだ戦い1939年』を含む「2018年読書感想文課題図書のまとめ」はこちら
そのほかの「読書感想文」はこちらから。