目次
あらすじ
父親の仕事の都合により、真人(まさと)はオーストラリアに移住することになる。
現地の小学校で彼は異文化、言葉の壁、異なる人種、両親の心配など、いくつもの困難を乗り越え成長していく。
真人は孤独の戦いを乗り越え、たくましくなった。
感想
真人は言葉で苦労するが、得意スポーツであるサッカーを通じて自尊心を取り戻す。
別に言葉が通じなかったからといって、自分がすべて否定されたわけではない。英語が使えないからといって、コミュニケーションの道が絶たれたわけではない。
外国語を勉強するときに私たちがしばしば見落としてしまうのが、「英語は手段であって目的ではない」ということだ。真人はそのことを身をもって証明してくれたといえる。
真人は物語の中で急速に成長する。たいへん喜ばしいことであるが、親の立場に立ってみると、それは同時に子どもの親離れも急速に進行しているということである。
真人の母親は、うまくオーストラリアの地になじめず、孤独感を日に日に強めていく。
真人はこれからうまく人生を生きていけるのだろうかという、彼の将来への不安。自分としては精いっぱいやっているつもりなのに、状況はあまりよくなっているとは限らない。
むしろ気持ちは沈んでいく……。
彼女は真人と対比したかたちで描かれている。
真人はオーストラリアに順応し、前向きに道を切り開いていく存在であるが、彼女はどちらかといえば「なじめなさ」を感じ、もやもやする存在である。
タイトルに堂々と宣言されているように『Masato』は真人が主役なのであるから、彼を引き立たせるキャラクターとして、母親が配置されたのかもしれない。
父親もそうである。
真人の努力・成長をあたたかく見守り、彼が「大人」になったと感じるやいなや「この国はいつからお酒が飲めるんだっけ?」と承認の儀式をほのめかしている。そもそも真人が成長する舞台となったオーストラリアに彼を(半強制的に)導いたのは、父親であった。
だから『Masato』の正統的な読み方は、真人を中心にすえ、両親をサブ・キャラクターとして、真人のための舞台装置としてとらえる読み方だろうと私は思う。
あ。今気づいた。
タイトルがアルファベットで『Masato』なのは、この小説では「真人」が「Masato」になる過程(家庭)を扱っているからなのだ。
だからMasatoは帰国しなかった。佳話である。
おわりに
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