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世界の見え方を変える小説
「人は見た目が9割」だとか「外見は内面の一番外側」だとか「第一印象がその後に大きな影響を与える」だとか、見た目に関する警句は多い。
『ふくわらい』の主人公は、他人と会ったときに「顔」にほとんどの注意を向ける。これ自体は非難されるべき価値観ではない。個人の価値観は尊重されるべきと、(たぶん)憲法に定められている。
ただ、主人公・定(さだ)のよくない点は、他人を「顔で評価する」のではなくて、「顔しか見ない」ところである。誰かの存在の一部分としての顔、誰かを判断するための有力な手がかりとしての顔、ではなく「顔しか見ない」のだ。中身を見ない、とも言い換えられる。そしてその顔を見つめながら「ふくわらい」をして遊ぶ。
ここまで書くと、なんだか気味の悪い主人公だな、とお思いになるであろうが、大丈夫、彼女(「さだ」って、女性の名前なんですね)は『ふくわらい』の中で見事に「成長」をして「顔しか見ない」からひと皮むける。
佳話である。
「ふくわらい」ゲームをするときに大事なのは、端正な顔を作ることではない。かといって奇妙な顔を作ることではない。そこで目指すべきなのはゲームの参加者が「笑う」ことである。パーツの並べ替えは手段にすぎない。
小説も同じである。小説で大事なのは、主人公がハッピーエンドを迎えたり、望んでいたものを手にしたり、はたまた人間的に成長することではない。
それを読んだ私たち読者が、読む前に比べて「世界の見え方」が変わったかどうかを第一に考えるべきだと私は思う。
たぶん『ふくわらい』を書いた西加奈子自身も、書き終える前と後で「世界の見え方」が変わっているものと思われる。私の知る限りそのような小説を書くことのできる存命中の作家は少ない。
(735字)
作品情報
著者:西加奈子
情報:第1回河合隼雄物語賞受賞