※引用はすべてショウペンハウエル著 斎藤忍随訳『読書について 他二篇』岩波文庫による
目次
ショウペンハウエル『読書について 他二篇』
ショウペンハウエル『読書について 他二篇』は彼の書いた3つのエッセイが収められています。
- 思索
- 著作と文体
- 読書について
表題が「読書について」となっていることからもわかるように、3番目のエッセイがいちばん重要で、他の2つはそれを補うような文章です。
だから、最後の「読書について」を読めば、ショウペンハウエルの読書についての考え方を十分に知ることができると思います。
「読書について」ポイント
ショウペンハウエルの言いたいことで私が大事だと思った点は3つ。
- 読書ばかりしていると、自分でものを考えることができなくなる。
- 悪書は読むな。天才の作品を熟読せよ。
- 作品は著者のエキスであるから、著者に興味を持たずともよい。
1.読書ばかりしていると、自分でものを考えることができることができなくなる。
ショウペンハウエル曰く「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復するにすぎない」。
本を読むことは、著者がなにかを考えた結果を書き残したものを読むことです。
著者は、私たちに自分の考えを理解させたいと思っている(たぶん)ので、できるだけていねいにその道すじを説明します(たとえば、この文章もそう)。
だから本を読むとき私たちは、そこに記された著者の考えをなぞっていくだけでよいです。
だって、わざわざわかりやすいように著者が書いてくれているのだから、その通りに、著者が考えるように、考え方を真似をして読めば、自然に本の内容がわかるはずなのです(わからなかったら、ごめんなさい)。
つまり「本を読むときは絶えず著者の考え、思想にさらされ続けるので、けっこう危険ですよ」ということがショウペンハウエルは言いたいのだと思います。
読書をするときは、たまには目を離して自分の考えにふけることも大事だよ、ということですね。
2.悪書は読むな。天才の作品を熟読せよ。
悪書の数は限りがなく、雑草のように文学の世界に生い茂っている。
(132頁)
誰でも「悪書」つまり「あんまり良くない本」は読みたくないです。
ショウペンハウエルは「くだらない作家」としてスピンドラー、ブルヴァー、ユージン・シューという作家の名前を挙げます。
私が聞いたことがないだけかもしれませんが、まったく知らない作家たちです。
でも逆に私(のようなあまり作家を知らない人間)が知らないということは、彼らがほんとうの意味で「くだらない作家」である証明であることだと考えることができます。
天才だったら外国でも、何年後でも、耳にその名前くらいは入ってくるはずですから。
あ、脱線しましたけどつまりこういうことです。
「誰にでも読まれ、何年先でも通用するような作品だけを読みなさい」
これがショウペンハウエルの言いたいことだと思います。
果たして今年発表された書物の中でその条件を満たすことのできるものは何%あるでしょうか?
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3.作品は著者のエキスであるから、著者に興味を持たずともよい。
たとえば「●●の作者、逮捕」というニュースが流れるとその本は一時的なブームになります。またサイン会や、著者の日記というものもあります。
そういうものは「我々に何の興味も与えることができないのである」とショウペンハウエルは言っています(と私は思いました)。
作品はあくまで作品。そこに著者のエキス(つまり「おいしいところ」)がぎっしり詰まっているのであるから、別にそれ以外の部分に触れるのは時間の無駄ではないか、という考えだと思いました。
うーむ。反省します。
まとめ
私が思うにショウペンハウエルの言いたいことは
- 良書だけを読み
- 自分で考えて
- 自分の価値を高めよう
だと思います(この記事が「良書」かどうかは置いておいて)。
ふつうの「読書論」みたいな本は「本をどう読むか?」ということばかりが書かれていて、ショウペンハウエルの「悪書は読むな」という意見が斬新でした。
本を読もう、と決める前に「これは良書か、悪書か」という判断をするクセをつければ、より豊かな読書ができるのではと思いました。