岡本かの子『快走』読書感想文|オン・ユア・マーク、ゲットセッ

※引用はすべて岡本かの子『快走』青空文庫による

あらすじ

 家にこもって家事ばかりしていた道子は、ふらりと外出し多摩川に到る。
 学生時代ランニングの名手だった血が騒ぎ、彼女は走り出す。
 家族に内緒で快走を繰り返していたが、友人からの手紙がきっかけで両親にばれる。
 両親は堤防の上を疾駆する道子を観に行くが、到着するなり彼女のことも忘れて高らかに笑いあった。

 

 2014年センター試験「国語」第二問で出題。
 「オン・ユアー・マーク、ゲットセッ」や「おほほほほほほほほほほ」「あはははははははははは」などの文章で、ナーバスになっていた受験生に衝撃を与えた。

読書感想文

原稿用紙5枚(2000字,100行)

KKc
「快感を求めて走る」

 

 道子は学校を卒業したあと、自宅で家事ばかりする生活です。
した。縫い物仕事の合間に、気分転換のためでしょうか、ふと外に出てみようかという気になり、冬の空の下へ歩き出します。

 

 <秩父の連山だ! 道子はこういう夕景色をゆっくり眺めたのは今春女学校を卒業してから一度もなかったような気がした。>

 

 開放感と鮮やかな景色のおかげで、道子はたいへん気分が良くなります。そして大胆になります。
 <誰も見る人がない…………よし…………思い切り手足を動かしてやろう…………道子は心の中で呟いた。>
 <女学校在学中ランニングの選手だった当時の意気込みが全身に湧き上って来た。>

 

 だいぶ人目を気にしています。私の感覚では、川辺で走るなんて、恥ずかしいことでも何でもないと思うのですが、『快走』の時代はそうではなかったようです。舞台は戦時下だと思われますが「女は家で大人しく」という価値観が支配的だったのでしょうか。のちに走っていることがばれたときも「呼び寄せて叱ってやりましょうか」と言われています。

 

 それはともかく道子は「ほんとうに潑剌と活きている感じがする」と走ることの喜びをおおいに噛み締めています。
 <彼女はこの計画を家の者に話さなかった。両親はきっと差止めるように思われたし、兄弟は親し過ぎて揶揄うぐらいのものであろうから。いやそれよりも彼女は月明の中に疾駆する興奮した気持ちを自分独りで内密に味わいたかったから。>

 

 内緒は快感を増幅します。ただでさえ気持ちのいい走ることを、道子は家族に隠すことによって、さらに楽しくしました。「ちょっと銭湯に行って来ます」と言い訳をして、毎晩彼女は走ります。

 

 <オン・ユアー・マーク、ゲットセッ、道子は弾条仕掛のように飛び出した。>
 <次第に脚の疲れを覚えて速力を緩めたとき、道子は月の光りのためか一種悲壮な気分に衝たれた――自分はいま潑剌と生きてはいるが、違った世界に生きているという感じがした。人類とは離れた、淋しいがしかも厳粛な世界に生きているという感じだった。>

 

 銭湯に行くと言いながら、毎日数時間も外出する道子のことを、母親は怪しみました。弟に頼み彼女をつけさせますが、成果はありません。母親の疑惑を道子は敏感に察知します。ちょうどその日は雨でした。

 

 <道子は一日ぐらいは我慢しようと諦めた。それが丁度翌日は雨降りになった。道子は降り続く雨を眺めて――この天気、天祐っていうもんかしら…………少くとも私の悲観を慰めて呉れたんだから…………そう思うと何だか可笑しくなって独りくすくす笑った。>

 

 疑いの目を向けられ、走りにいけないとがっかりしていた道子ですが、雨を見て(まるで空が私をなぐさめてくれたようだわ)と感じています。なんてポジティブなんだろうと思いました。すっかり走る快楽のとりこです。

 

 道子の隠しごとは、友人からの一通の手紙で、両親にばれてしまいます。
 <勇ましいおたより、学生時代に帰った思いがしました。毎晩パンツ姿も凜々しく月光を浴びて多摩川の堤防の上を疾駆するあなたを考えただけでも胸が躍ります。>

 

 手紙を盗み見た両親は、外出する道子を尾行しようと計画します。一方道子はそんなことはつゆ知らず、走りたくてウズウズしています。
 <この好夜、一晩休んで肉体が待ち兼ねたようにうずいている>

 

 クライマックス。多摩川のほとりで弾丸のようにパンツ姿で走る道子を観に、両親は「走って」追跡しました。それが落とし穴だったのですが、それゆえに、彼らは走ることの快感を知ってしまいました。

 

 <「俺達は案外まだ若いんだね」 「おほほほほほほほほほほ」 「あはははははははははは」  二人は月光の下を寒風を切って走ったことが近来にない喜びだった。二人は娘のことも忘れて、声を立てて笑い合った。>

 

 娘が走る姿を観に行ったはずが、自分たちが走ってしまったことで、道子のことなど忘れて楽しくなってしまいました。「快走」のタイトルどおり、この小説では、走ってしまったが最後、その人物はその抗いがたい魅力にとりつかれてしまいます。無事だったのは、弟の準二くらいでした。

(98行,原稿用紙4枚と18行)

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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