中島敦『弟子』【読書感想文】あらすじ付―弟子の想像より師は偉大

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※引用はすべてちくま文庫『中島敦全集3』による

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中島敦『弟子』あらすじ

 孔子をバカにしてやろうと思い立った子路は、対面して相手の大きさに圧倒され、弟子となる。

 子路は真っすぐで遠慮の無い人物で、孔子はたびたび苦笑したが、その人物は認めていた。

 子路は孔子に命じられてある国に仕えることになった。

 その国の政治の混乱に巻き込まれ、子路は切り刻まれて死ぬ。

 最期の言葉は「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」であった。

印象に残ったところや表現

けたたましい動物の叫びと共に眼を瞋らして跳び込んできた青年と、圜冠句履緩く玦を帯びて几に凭った温顔の孔子との間に、問答が始まる。
(10頁)

 『弟子』の書き出しは呪文のように私には感じられた。「ロノベンノユウキョウノト……」など、普段なじみのない言葉を並べられ、すこし混乱した。

 ところがこの「問答が始まる。」のところで呪文のような文章は急停止し、私にも理解できるように物語がゆっくりになった。もしかしたら中島敦はあまり大事でない子路の紹介を、さっさと片付けたくて猛烈な冒頭文にしたのかもしれない、と思った。

上智と下愚は移り難い
(14頁)

 「上智」とは本当に賢い者で、「下愚」とは非常に愚かな者だ。彼らはどんな状況においても変わらないということを表した文章。

 私はもしかしてこれは「上智大学」の名前の由来かもしれないと思った。

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【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)

KKc
 「子路は弟子になる前から弟子だった」

 『弟子』を読んで、私は子路の性格に好感を持ちました。
 孔子が「鳳鳥至らず。河、図を出さず。已んぬるかな。」と独り言を言ったとき、子路が泣いてしまった場面が私は好きです。

 孔子はこの言葉を「聖人が出てこないので、この国の行方はどうなるのだろう」と世界とそこに住む人々を心配するものとして使いました。ですが子路はこの独り言を、孔子が自らの不幸を嘆く台詞だと受け取りました。だから涙があふれたのです。
 天下ではなく孔子ただ一人のためだけに泣く。ここに子路の師への愛が表れているのだと私は思いました。

 さて、『弟子』では子路が孔子に初めて出会ったときを描いています。

 はじめのうちは「我、長剣を好む。」(ケンカが好きだ)や「学、豈に、益あらんや。」(勉強することって、なんにもいいことがないよね)などと勢いよく怒鳴り散らしていましたが、孔子と話しているうち、だんだん子路は孔子に説得されていきます。「しかし」と最後に問いかけた質問を孔子があっさり打ち破ったとき、彼はすぐさま弟子になりました。

 その後「ただ其処に孔子という人間が存在するというだけで充分なのだ。少くとも子路には、そう思えた。彼はすっかり心酔してしまった。門に入って未だ一月ならずして、最早、此の精神的支柱から離れ得ない自分を感じていた。」と子路は孔子を絶賛しています。

 私はこれが「弟子の条件」なのだと思いました。師を無条件に信じること。それが「よく学ぶため」に必要なことなのでしょう。きっと中島敦は『弟子』を通してそれを伝えたかったのだと私は思います。

 自分がこれから学ぶことになる人に対して全幅の信頼を置くこと。そうしなければ、たとえどんなに自身のためになる言葉であっても、効果は発揮されません。「馬の耳に念仏」です。聞く気のない者には何を言っても無駄です。

 ここで注意しなければならないのは、子路は孔子の弟子になった後でこのような態度を身につけたのではない、ということです。彼は以前からこのような姿勢で生きてきたのです。そうでなければ、孔子と会ったときも対話をすることができずに、弟子にはならなかったでしょう。子路は孔子の弟子になる前から「弟子」だったのです。

 私は弟子の条件を「無条件に師を信じること」だと書きました。それは言い換えると、「他人の意見に耳を傾ける態度を持つこと」ともいえます。

 自分の世界の外側にも世界があることを理解していて、その世界の価値観を尊重するような態度。それを私は「弟子」の条件だと思います。子路はこの能力を物語が始まる前から持っていたので、彼は孔子の「弟子」になることができたのです。

 (60行,原稿用紙3枚ぴったり)

【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)

KKc
 「子路は弟子になる前から弟子だった」

 『弟子』を読んで、私は子路の性格に好感を持ちました。
 師である孔子に遠慮なく「請う。古の道を釈てて由の意を行わん。可ならんか。」と聞きます。

 「昔の偉い人が決めた決まりを捨てて、私オリジナルのやり方でやってもいいですか。どうでしょう」なんて、叱られるに決まっていることを言うのです。

 孔子の他の弟子はだいぶヒヤヒヤしていたでしょうが、私はこの子路の態度にすがすがしいものを感じました。彼はきっと、いろいろ気を回したり必要以上にへつらったりしない人物なのでしょう。私はそんな人が好きです。

 また孔子が「鳳鳥至らず。河、図を出さず。已んぬるかな。」と独り言を言ったとき、子路が泣いてしまった場面も私は好きです。

 孔子はこの言葉を「聖人が出てこないので、この国の行方はどうなるのだろう」と世界とそこに住む人々を心配するものとして使いました。ですが子路はこの独り言を、孔子が自らの不幸を嘆く台詞だと受け取りました。だから涙があふれたのです。
 天下ではなく孔子ただ一人のためだけに泣く。ここに子路の師への愛が表れているのだと私は思いました。

 というように、子路は孔子に心酔しています。
 他の弟子・子貢が孔子の「未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。」という返答に納得のいかない表情を作ったときも、横で聞いていた子路は「全くだ!」と手放しで感心しています。師を尊敬する気持ちがよく出ているエピソードだと思いました。

 さて、『弟子』では子路が孔子に初めて出会ったときを描いています。
 子路は当時「孔子なんて」と孔子を低く思っていました。そして彼をけなしてやろうと考えて、鳥と豚を両手に持って乗り込みます。

 はじめのうちは「我、長剣を好む。」(ケンカが好きだ)や「学、豈に、益あらんや。」(勉強することって、なんにもいいことがないよね)などと勢いよく怒鳴り散らしていましたが、孔子と話しているうち、だんだん子路は孔子に説得されていきます。学ぶことは、とても大切なことなのではないか、と思うようになっていきました。

 「しかし」と最後に問いかけた質問を孔子があっさり打ち破ったとき、彼はすぐさま弟子になりました。
 その後「ただ其処に孔子という人間が存在するというだけで充分なのだ。少くとも子路には、そう思えた。彼はすっかり心酔してしまった。門に入って未だ一月ならずして、最早、此の精神的支柱から離れ得ない自分を感じていた。」と子路は孔子を絶賛しています。

 私はこれが「弟子の条件」なのだと思いました。師を無条件に信じること。それが「よく学ぶため」に必要なことなのでしょう。きっと中島敦は『弟子』を通してそれを伝えたかったのだと私は思います。

 自分がこれから学ぶことになる人に対して全幅の信頼を置くこと。そうしなければ、たとえどんなに自身のためになる言葉であっても、効果は発揮されません。「馬の耳に念仏」です。聞く気のない者には何を言っても無駄です。

 ここで注意しなければならないのは、子路は孔子の弟子になった後でこのような態度を身につけたのではない、ということです。彼は以前からこのような姿勢で生きてきたのです。そうでなければ、孔子と会ったときも対話をすることができずに、弟子にはならなかったでしょう。子路は孔子の弟子になる前から「弟子」だったのです。

 私は弟子の条件を「無条件に師を信じること」だと書きました。それは言い換えると、「他人の意見に耳を傾ける態度を持つこと」ともいえます。

 自分の世界の外側にも世界があることを理解していて、その世界の価値観を尊重するような態度。それを私は「弟子」の条件だと思います。子路はこの能力を物語が始まる前から持っていたので、彼は孔子の「弟子」になることができたのです。

 (87行,原稿用紙4枚と7行)

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子路が豪快で読んでいて楽しかったです。

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