宮下奈都『羊と鋼の森』感想|芸は生を助ける

あらすじ

 高校生の主人公はある調律師と出会い、自らもそうありたいとピアノ調律師を目指す。
 主人公は調律を学びながら、魅せられていく。
 彼は楽器店で働きながら「よい調律師とは?」「よい音とは?」を探求していく。
才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。

感想

 まずは、『羊と鋼の森』というタイトルの意味から。これはピアノをたとえた表現です。
 「羊」はピアノの弦を叩くハンマーに付随するフェルトを指します。フェルトは羊の毛を圧縮して作られたものです。
 「鋼」はピアノの弦のことです。
 「森」はピアノが木材でできていることに由来します。
 こんなふうに、「羊と鋼の森」はピアノをたとえた言葉です。

 

 この比喩に触れると、「羊」と「鋼」という一見無縁であるような存在どうしが、ピアノという森の下で協調して動き、音を奏でる様子が心の中に浮かび上がってきます。
 この「繋がることのなかったものたち」が関係することにより美しい旋律を生み出す、という構造は、人間が「生きていくこと」と通じているようにも感じられます。
 「ピアノ=羊と鋼の森」が調律師という「仲介者」によって「生きること」に換喩されている、というふうに言い換えることもできます。

 

 主人公は、ピアノの調律師。彼は半人前です。
 もちろんこれからどんどん学んでいかなければ、立派な調律師になることはできません。
 彼が物語でどのような立場にあったかというと、楽器店でさまざまな調律師と関わっていくという存在でした。

 

 彼は調律師を志していなければ絶対に出会えなかったような人々に囲まれて生きています。それはちょうど、ピアノという「森」の存在がなければ接続することがなかったであろう「羊」と「鋼」の関係に似ています。ピアノの調律という「森」(仕事)がなければ、調律師として彼と彼らは交わることはなかったはずです。

 

 ピアノの調律師は「羊と鋼の森」が調和し、美しい音を創りだすためのアシストを生業としています。
 そして調律師たちもまた、彼らどうしで調和し、よい仕事ができるように、よい人生を自分自身が送ることのできるように、相互に影響しあっています。

 

 「芸は身を助ける」と言いますが、『羊と鋼の森』ではさらに一歩踏み込んで「芸は生を助ける」を表現しているのではと私は思います。調律師に限らず、すべての仕事は人生と結びついていることが感じられる読書でした。

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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