目次
あらすじ
江戸時代、円周率の謎を追った関孝和。
日本の数学を世界レベルまで高めた算聖の生涯をなぞる。
【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)
円、というと、丸い図形を思い浮かべます。
中心から円周までは、どこを測っても半径の長さは同じです。美しい図形です。
どこを測っても同じ、言い換えると均等だということですが、そのことが美しいと感じるのは、どうしてなのでしょうか。顔が左右で同じような造りだといい男やいい女に見える、というのをどこかの心理学で聞いた覚えがありますが、それと同じ種類の感覚なのでしょうか。
数学者が「数式は美しい」というのもよく聞きます。アインシュタインの公式やピタゴラスの定理など、これはなんとなく私にもわかるような気がします。
美しいと感じるからこそ、美しいものを追い求めるからこそ、数学の研究は楽しいのかもしれません。学校の勉強の数学は楽しいと思うことは稀ですが、きっと研究は楽しいのでしょう。
関孝和は、熱中して数学を研究しているうち、いつのまにか世界レベルの数学者になっていたようです。
今の時代だったら、彼はSNSやブログなんかで「俺はこんな発見をしたよ」なんて写真付きでアピールできますし、彼がそんなことをしないような性格だとしても、たぶん周りがネットにアップしたがるでしょうが、残念ながら、彼の生きている間は、世界にぜんぜん知られるところがありませんでした。
生まれる時代が違えば、日本だけでなく海外にも、生前からその名前が知られることになっていたかもしれません。また、生まれた家・環境・時代にとらわれず、自由に生きられたかもしれません。
<人はだれでも思うようには生きられません。でも数学の世界は自分自身の道を自由な発想で切り開ける。>
作中の香奈の言葉が心に残りました。
関孝和はきっと、数学だけをして毎日を過ごしていきたいと願っていたのだろうと思います。私も、読書やゲームばかりしてずっと生きていけたらと思います。
でも、そんなことはほとんど不可能です。後継ぎ問題や就職問題、二番目に好きな人と結婚したりしてしまったり、いろんな困難が、生きる上では避けられません。
そんなある意味「不自由」な人生でも、彼らにとっては数学が「自由」になれる唯一の場所でした。
このように、自分自身を自由にさせてあげられる場所というかジャンル、というか世界を、すべての人が持つべきだと私は思います。
私の好きなテレビ番組に「マツコの知らない世界」があります。
毎回違うゲストが訪れ、司会であるマツコ・デラックスさんに、彼らが夢中になっている「知らない世界」をプレゼンテーションするというものです。
登場する人たちはそれぞれに趣味というか得意分野のようなものがあり、それを話してくれるのですが、彼らが説明をしているときの表情がとてもいきいきとしているのが、私は好きです。
「自分自身が自由になれる世界」を持っている人の顔をしているのだなとしみじみ思っています。
取り上げられるテーマは、マツコさんにとっての「知らない世界」でありますが、たいていの場合、私にとっても「知らない世界」であります。そういうこともあって、いつも新鮮な気持ちで楽しむことができています。
自分の知らないことで自由になっている人がいる。そのことだけで、心がさわやかになるような気がします。
関孝和は、数学という「自由な世界」を発見しましたが、そこは同時に「知らない世界」でした。
学べば学ぶほど、自由に思考を巡らすことのできる範囲が広くなり、楽しみが等比級数的に大きくなる。
もし関孝和が「マツコの知らない世界」に出たとしたら、とても面白い回になるでしょう。
(83行,原稿用紙4枚と3行)
おわりに
過去に書いた「読書感想文」はこちらから。
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