目次
あらすじ
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」
生き延びることを第一にしていた祖父は、なぜ零戦に乗り命を落としたのか。
あの戦争から60年、夏。
健太郎は戦死した祖父の生涯を調べていた。
宮部久蔵は敏腕パイロット。天才だが臆病者。「命を惜しむ臆病者」と後ろ指をさされながらも、戦場から生きて帰ることに全力を尽くした。「生きて必ず帰る」という言葉を信じて妻は健気に待ち続けた。
物語は、彼のおかげで生き残った人々の回想で進んでいく。
宮部は空母特攻を失敗したが、その勇敢さから、米軍に手あつく葬られた。
【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)
第一章「亡霊」にこんな文章があります。
<神風特攻隊の人たちは今で言えば立派なテロリストだって。彼らのしたことはニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ人たちと同じということよ(19頁)>
このセリフは最初のほうにあるのですが、全体としては『永遠の0』では特攻隊の人びとはそのように書かれてはいません。最後まで読むとおわかりになると思います。彼らはテロリストのような考えをちっとも持っていません。
『永遠の0』の現代日本では誤解されているのです。引用した新聞社の記者の言葉がそのあらわれです。
私はここを読んで、後世には細かい背景やそのときの気持ち、持っていた責任感のようなものは、残念ながらほとんど伝わらないのだな、と思いました。
歴史に残るのは、すなわちそこで大切にされるのは「何を考えたか」ではなく「何をしたか」なのだと思いました。
私たちはふつう、生きている人間に会っているときですら、相手の心や考えを完全に知ることができません。ましてやそれが数十年前の、戦争をしていた時代の人ならなおさらです。
『永遠の0』では主人公である(と私は思います)パイロット・宮部の視点で物語が語られることはありません。小説は、彼に関わった人たちが語る形式でつくられています。
これはつまり、宮部がほんとうに心の底で考えていたことは明らかになっていないということです。
私たちは新聞記者がムスリムの心と特攻隊の行動を重ねて考えたように、宮部の心と行動を重ねて考えることしかできません。
ここで私は「『永遠の0』ってこういう意味なんじゃないかな」と思いつきました。
タイトルの「永遠の0」とは、小説の中で宮部の心の内がまったく書かれていないということを表したものであると私は考えます。「ゼロ」は「ひとつもない」という意味の言葉なので。
そして「ゼロ」には違う意味もあります。
「とても小さい」という意味の「零細」という言葉が示すように、「かなり小さいけれども、ないわけではない」という性格も「ゼロ(零)」は持っています。
だから「永遠の0」の本当の意味は「作者は主人公・宮部の気持ちをまったく書かないけれども、手がかりはわずかに散りばめられていますよ」だと私は思いました。
そのような状況は小説世界だけでなく、現実でもごく当たり前のものです。だから私は『永遠の0』を宮部の気持ちに寄り添うように読むことは、私たちが生きていくうえでとても役に立つ、貴重な経験だと思いました。
(57行,原稿用紙2枚と17行)
【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)
『永遠の0』はエピローグで「悪魔のゼロ」と呼ばれた戦闘機が米軍の空母に「カミカゼアタック」します。
爆弾をのせて機体ごとぶつかろうとしたのです。
作戦は半分成功し、半分成功しませんでした。
戦闘機は防御の弾丸をくぐりぬけて空母までたどり着き、甲板にぶつかりました。ここまではうまくいっていました。あとは爆弾に火がつくだけです。
しかし積みこまれていた爆弾は動きませんでした。
なんらかのトラブルが起きたのでしょうが、結果として作戦は失敗しました。
機体は船に突きささったまま燃え続けています。
ここで攻撃を受けた空母の艦長は、戦死した戦闘機のパイロット・宮部を「敬意を表して弔おう」と言います。
パイロットたちも大いに頷きます。
「奴は本物のエースだ」
「日本にサムライがいたとすれば――奴がそうだ」などと口をそろえて宮部をほめています。
私はこのエピローグを読んで「どこかおかしい」と思いました。
本当なら「臆病者」宮部が立派に戦って死ぬ感動的なシーンなのでしょうが、私はぜんぜん感動しませんでした。
むしろ嫌な気持ちになりました。この場面に出てくる軍人たちには、まったく賛成できません。
ふつう自分の命を狙ってきたものに対しては、人は敬意を抱かないと思うからです。
スナイパーに暗殺されかけた大統領が、「あんなに遠くから、よく狙ってきたな」と感心するでしょうか。
山でクマに襲われた人は、そのクマを憎まずにいられるでしょうか。
砂漠で水がないために生死をさまよった人が、「砂漠ってすごいな」と思うでしょうか。
これがたとえばスポーツだったら「お前もやるな」と試合後ににっこり握手などをするかもしれませんが、それとは次元の違う話です。「負けたほうが死ぬ」など命とは関係のないルールでプレーするから、お互いの戦いっぷりをほめあうことができるのです。
『永遠の0』は「戦時下」というかなり異常な状況です。
たぶんエピローグでの米軍の言い分は「手厚く葬るのは、誇りを持って戦っている軍人同士だから」でしょうが、私が思うに、人を殺すという誇りは、それを持っていること自体を恥ずかしく思うべきです。
誇りというのは宮部のように「銃弾を一発も使わなかった」などの、人を生かしたことに対して持つべきです(軍人であるという立場上、彼はそのことを隠していましたが)。
現実世界では「命のやり取りをしている相手を尊敬する」というのはぜんぜん格好のよいものではないと思います。そういうセリフはマンガだとか小説だとか映画だとかゲームの中だけで私は十分です。
私がエピローグに感動できなかった理由は、想像力を働かせすぎて、「もし現実でそのセリフを言ったら」と考えてしまったことだと思います。おそらく感動できた人は「フィクションをフィクションととらえられる」健全な心を持った人だと思いました。
戦争はフィクションの世界の中だけでたくさんです。もし現実に戦争が起きたら、戦う相手は悪魔ではなく人間なのです。
もしこの小説が苦労して取材した結果の「現実に限りなく近い」ものだったとしても、「過去実際にあったこと」に忠実な物語だったとしても、将来また『永遠の0』のような世界が訪れるようなことはあってはならないと思います。
戦争では人間の生死に対する価値観ががらりと変わります。どんなに正しい(と思われる)理由で行動していても、あとで振り返ったとき「あれはおかしかった」と言われます。絶対に。
戦争について考えるときには、このことを常に頭に置いておくべきだと私は思いました。
<戦争とは、自分が殺されずに、一人でも多く敵兵を殺すことなのです。(226頁)>
そんな状況に人間を置くべきではありません。少なくとも私はごめんです。
(90行,原稿用紙4枚と10行)
名言
「俺は絶対に特攻に志願しない。妻に生きて帰ると約束したからだ」
「真珠湾に参加するとわかっていたら、結婚はしませんでした」
「零戦はかつて無敵の戦士でしたが、今や――老兵です」
「私には妻がいます。妻のために死にたくないのです」
「私は帝国海軍の恥さらしですね」
「お前は臆病者の血なんか流れていない」
おわりに
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