『注文の多い料理店』読書感想文|ご注文は人間ですか?

目次

あらすじ

 

 二人の紳士が山で狩りをしていた。

 腹が減ったところで「西洋料理店 山猫軒」の看板を見つけ入った。

 店内で二人は、次々に出される「注文」に従って服を脱ぎ身体にクリームを塗りたくり進む。

 とうとう最後の扉の前でおかしいと思って逃げようとしたが、扉は動かない。

 このままでは猫に食べられてしまう、と思ったとたん連れてきていた犬が助けに現われ、二人は帰ることができた。

 

 

【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)

 

KKc
「犬が結局いちばん強い」

 

 私はこの小説に出てくる「紳士」二人はあまり頭が良くないと思います。

 

 彼ら二人が山に来た理由は狩りをするためです。きょうを生きていくための食べ物を取りに来た、人に危害を加える凶暴な獣を退治しに来た、という理由ではなくて、ただ単に楽しむためだけに来たようです。「なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やってみたいなあ」「鹿の黄色な横っ腹に2,3発おみまいしたらさぞかし痛快だろうなあ」というセリフからもそれはうかがえます。

 

 また彼らが空腹を感じたとき、都合よく料理店が目の前に現われます。都合良すぎじゃないか?と私なら疑うところですけど、紳士たちは入ります。そして「決してご遠慮はありません」の文字を見て「ここ、無料で食べられるらしいよ」と考えます。「太った方、歓迎」や「当店は注文の多い料理店ですから、そこのところよろしく」と書かれた扉を見ても少しもあやしいと思わずに、彼らはずんずん進みます。「クリーム塗ってね」や酢のにおいがする「香水をかけてください」の注文にも大人しく従います。二人はまったくお店に対して警戒する気持ちを持ちません。それほどまでに無料で食べられることに強い魅力を感じていたのでしょうか。がめつい奴らです。

 

 ところでそんな頭の足りない紳士たちですが、最後の扉の前で「さすがにおかしい」と気づきます。私は「ひどい奴らだこのまま食べられてしまえばいい」と思っていたので少し残念でした。

 

 ここで私が気になったのは、どうして料理店にいた猫たちはナイフとフォークを持っていたのかということです。

 

 西洋料理店なのでそれらが用意してあるのは当然なのですが、わからないのはなぜ猫がそれを使うのかということです。猫だったら自分の爪と歯がその役割を持っているはずですから。なぜ作者は食器を持たせたのでしょう。

 

 その理由は犬たちが乱入してきた場面で明らかになります。猫は犬によって料理店もろとも消し去られます。そこでの敗北の原因は、爪や歯の代わりにナイフやフォークを使うという「猫らしくなさ」だと思います。猫は猫らしくしていれば良かった。人を襲いたかったら、その持っている身体ひとつでやれば良かったのです。

 

 ここに私は、作者の動物好きの気持ちを読み取りました。犬を大事にしなかった紳士たちは、罰として一生「紙くずのような」顔のまま過ごさねばなりません。猫らしくなくなった猫たちは、たくらみが失敗しました。ところが犬だけは、死んだと思いきや復活そして最後に見せ場があります。

 

 この小説でいちばん強いのは犬だと思いました。私は犬にアレルギーがあるのでなかなか近づけないのですけど、これからはできるだけ犬に優しくしようと思いました。

 (60行,原稿用紙3枚ぴったり)

 

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【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)

 

KKc
「犬が結局いちばん強い」

 

 私はこの小説に出てくる「紳士」二人はあまり頭が良くないと思います。

 

 少なくとも私は友だちになろうとは思いません。一緒にいても楽しくないだろうし、たぶんいばることだとかお金のことだとかのことしか頭にないだろうと思うからです。

 

 それに何より、動物を大切にしていません。私は動物好きな人はいい人だとは限らないと思っていますけれど、動物の命を粗末に扱う人はきっと悪い人だと思います。

 

 彼ら二人が山に来た理由は狩りをするためです。きょうを生きていくための食べ物を取りに来た、人に危害を加える凶暴な獣を退治しに来た、という理由ではなくて、ただ単に楽しむためだけに来たようです。

 

 「なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やってみたいなあ」「鹿の黄色な横っ腹に2,3発おみまいしたらさぞかし痛快だろうなあ」というセリフからもそれはうかがえます。

 

 また、連れていた犬がめまいを起こして倒れたときも心配するどころか「2400円の損害だ」「僕は2800円だ」なんて言って、お金の計算しかしませんでした。犬の死を悲しむ気持ちはなかったのでしょうか。ほんとうに冷たい人たちです。

 

 そして彼らが空腹を感じたとき、都合よく料理店が目の前に現われます。
 都合良すぎじゃないか?と私なら疑うところですけど、紳士たちは入ります。そして「決してご遠慮はありません」の文字を見て「ここ、無料で食べられるらしいよ」と考えます。まったくいやなやつらです。そんなわけがあるはずないでしょう。

 

 「太った方、歓迎」や「当店は注文の多い料理店ですから、そこのところよろしく」と書かれた扉を見ても少しもあやしいと思わずに、彼らはずんずん進みます。髪を整え服と靴を脱ぎ、武器を外します。

 

 珍妙な「クリーム塗ってね」や酢のにおいがする「香水をかけてください」の注文にも大人しく従います。そのたびに二人はそれをしなければならない理由を推測するのですが、まったくお店に対して警戒する気持ちを持ちません。

 

 それほどまでに食欲が強かったのでしょうか。あるいは「無料で食べられる」ところに強い魅力を感じていたのでしょうか。犬が死んでも金額のことを考えるくらいですから、きっと無料に引かれたのでしょうと私は思います。がめつい奴らですから。

 

 ところでそんな頭の足りない紳士たちですが、最後の扉の前で「さすがにおかしい」と気づきます。私は「ひどい奴らだこのまま食べられてしまえばいい」と思っていたので少し残念でした。

 

 ここで私が気になったのは、どうして料理店にいた猫たちはナイフとフォークを持っていたのかということです。

 

 西洋料理店なのでそれらが用意してあるのは当然なのですが、わからないのはなぜ猫がそれを使うのかということです。猫だったら自分の爪と歯がその役割を持っているはずですから。私がこの間読んだ夏目漱石の『吾輩は猫である』の猫はちゃんと口だけでおもちを食べていました。

 

 ではなぜ、作者・宮沢賢治は化け猫たちに食器を持たせたのでしょうか。その理由は死んだと思われていた犬たちが乱入してきた場面で明らかになります。

 

 猫は犬によって料理店もろとも消し去られます。
 私が考える敗北の原因は、爪や歯の代わりにナイフやフォークを使うという「猫らしくなさ」だと思います。

 

 猫は猫らしくしていれば良かったのです。人を襲いたかったら、その持っている身体ひとつでやれば良かったのです。

 

 ここに私は、作者の動物好きの気持ちを読み取りました。犬を大事にしなかった紳士たちは、罰として一生「紙くずのような」顔のまま過ごさねばならなくなっています。猫らしくなくなった猫たちは、たくらみが失敗しました。ところが犬だけは、死んだと思いきや復活そして最後に見せ場があります。

 

 この小説でいちばん強いのは犬だと思いました。私は犬にアレルギーがあるのでなかなか近づけないのですけど、これからはできるだけ犬に優しくしようと思いました。

 (89行,原稿用紙4枚と9行)

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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