※引用はすべて森鴎外『阿部一族・舞姫』新潮文庫による
目次
あらすじ
閭丘胤が台州の役人になった。
彼は以前、国清寺の僧・豊干に頭痛を治してもらったことがあった。
国清寺は台州から近かったので、閭丘胤は豊干に紹介された寒山と拾得という二人の僧に会いに行く。
二人は閭丘胤の自己紹介を受けると、笑いあって逃げた。
【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)
病は気から、ということばがあります。病気は自分の心持ちひとつで良くなったり悪くなったりする、という考え方です。
プラシーボ効果、ということばがあります。良い治療だよ、と思い込ませてなにかを施すことで、まるで本当に適切な医療行為をしたかのような効果が現れる現象のことです。
私は閭丘胤の頭痛が治ったのは、これらのおかげではないかと思いました。彼は宗教家に対して、無条件に尊敬の気持ちを抱いているからです。
<元来閭は科挙に応ずるために、経書を読んで、五言の詩を作ることを習ったばかりで、仏典を読んだこともなく、老子を研究したこともない。しかし僧侶や道士というものに対しては、何故と云うこともなく尊敬の念を持っている。自分の会得せぬものに対する、盲目の尊敬とでも云おうか。>(231頁)
閭丘胤は役人ですから、科挙という試験に合格しています。科挙の試験は世界史の授業で学んだとおり、とても厳しいものです。覚えねばならないことが多く、勉強以外に時間を使うことは考えられない生活を彼は今まで送ってきたものと考えられます。
だから閭丘胤は(なんだかよくわからないけど、すごい存在なのでは)と僧侶などをとらえています。ここに頭痛を豊干が治すことのできた背景があります。
頭痛は、頭の血管が収縮し神経を圧迫することで起きます。血管の収縮は意識的にはコントロールできず、自律神経だとか、ホルモンによって制御されると記憶しています。すなわち無意識の作用です。意識的にコントロールできないことは、無意識がコントロールしている。
閭丘胤は意識的に頭痛を治すことはできませんでした。でも「なんだかよくわからないけど尊敬している」僧侶に直してもらうことができました(豊干は水をプーッと吹きかけるという「それらしいこと」を一応していますが、おそらく医学的効果は何も無い行為)。
閭丘胤の頭痛が治ったのは、豊干が無意識をうまく利用したからです。きっと豊干は閭丘胤が坊主に「盲目の尊敬」の念を持っているとどこかで耳にしたので、(いける)と確信したので謁見を求めたのだと私は思います。
おそらく豊干は人間の無意識を巧みに操ることができる能力を持つ人間です。だから彼が「虎の背に乗っていた」という道翅の昔話も、着色があるかもしれないと私は疑っています。
(55行,原稿用紙2枚と15行)
おわりに
過去に書いた「読書感想文」はこちらから。
記事に対する感想・要望等ありましたら、コメント欄かTwitterまで。