※引用はすべて川端康成『伊豆の踊子』角川文庫による
目次
あらすじ
孤独な20歳の「私」は伊豆の旅で芸人一行に出会う。
その中の14歳の踊子の少女に引かれ、一緒に旅をする。
「私」の心は自然に温かくときほぐされ、親切を自然に受け入れられるようになっていった。
【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)
「私は冷淡なふうに女たちを追い越してしまった」にちょっと親しみを感じました。「私」は踊子のことが気になってしょうがないくせにわざと無視しています。
そんなことってけっこうあります。たとえば弟が居間でマンガを読んでいるとき、私は何を読んでいるのかなと思いますが、なかなか話しかけられないことがあります。見つけた瞬間に「何読んでるの」と訊くのはなんだかうるさく感じられてしまうかもしれないなと思うからです。なので横で適当にテレビや新聞を眺めるふりをするなどして様子をうかがってから、「ここだ」と思うタイミングで「何読んでるの」と話しかけます。『伊豆の踊子』の「私」が芸人一行を追い越したときの気持ちもたぶんこんなふうだったのだろうと私は思います。
「私は眼を光らせた。この静けさが何であるかを闇を通して見ようとした。踊子の今夜が汚れるのであろうかと悩ましかった」のときの「私」も同じような心境だったと思います。
踊子がいまどんな状況で何をしているのかとても気になるのに、自分の部屋から外の様子をじっとうかがうばかりで動こうとしません。結局翌朝まで何もせずに「昨夜はだいぶ遅くまで賑やかでしたね」と芸人の男にお風呂で話しかけるのです。踊子には直接話しかけることが出来ず、間接的に男から情報をゲットしようとするところに「私」のシャイなところが表れていてとても良かったです。なんか思春期って感じ。
というように『伊豆の踊子』は最初は「私」と踊子の恋愛小説なのかな、と思うくらいの流れなのですが、途中から様子が変わります。
入浴のあと、踊子はじつは14歳だということが男の口から明かされました。お化粧や髪型で年上に見えていたのです。
「私」は踊子のことを「子供なんだ」と思い、「花のように笑う」ことを発見し、「とっとっと私について来る」のを見ます。ここできっと「私」は踊子に対する気持ちを「恋心」から、「妹に親しみを感じるような心」へと変えています。
というように『伊豆の踊子』は心あたたまる小説でした。読む前は「主人公が伊豆の踊子に恋する話なのかな」と思っていて、前半はそのように話が進むのですっかり私はカンチガイしていました。この小説は、「私」と芸人一行の心の交流を描く、優しい気持ちになれる小説でした。川端康成の代表作だと言われる理由がわかったような気がします。
(53行,原稿用紙2枚と13行)
おわりに
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