※引用はすべて太宰治『富嶽百景』青空文庫による
あらすじ
昭和13年の夏、「私」は御坂峠に滞在した。
さまざまな場所、場面において「私」は富士山を見、そして心の中で語りかける。
帰路につくころには、富士に対する「私」の気持ちは、すっかり変わっていた。
読書感想文|原稿用紙3枚(1200字,60行)
「私」ははじめ、富士山にあまり良い印象を持っていませんでした。「たとえば私がインドかどこかの国からふらっと突然日本に来たとして、おそらく富士山を見てもびっくりはしないだろう」と言っています。
私たちが富士山を見て(すごいなぁ)と思うのは、あらかじめ「富士山はすごい山だ。日本一の山だ」というイメージを植えつけられているからであって、先入観を持たずに富士山を眺めたとしたら、どこまで感動できるか……ということを言っているのです。そんな「私」ですが、十国峠で見た富士山には、違った印象を持ちます。
<十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかった>
「私」が見たとき雲がかかっていた富士山ですが、雲が切れてみると、「私」が予想したよりも頂上の位置が高かった。「私」は以下のような感想を抱きます。
<おどろいた、といふよりも私は、へんにくすぐつたく、げらげら笑つた。やつてゐやがる、と思つた。人は、完全のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。>
たぶんこのとき「私」は(富士山ってすごいなぁ)と思ったのでしょう。でもただ(すごいなぁ)と思ったのではありません。富士山に「完全なたのもしさ」を感じたから、だらしなくげらげらと笑ったようです。
「私」はそれから、恋愛における爆笑についての持論を述べます。
<諸君が、もし恋人と逢つて、逢つたとたんに、恋人がげらげら笑ひ出したら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもしさを、全身に浴びてゐるのだ。>
デートなどで待ち合わせをしていて、相手が目の前に現れ私たちの顔を見て「げらげら」笑い出したとしたら、それは喜ぶべきことだというのです。
ここで「私」が言いたいことは、爆笑したとき恋人は私たちの顔をギャグだと思っているのではなくて、「完全なたのもしさ」を感じているから爆笑している、それは相手が君にべたぼれしている証拠だぞ、だと思います。
おそらく、顔を見た瞬間にほっとするというか、気持ちが緩むような、安心するような気持ちになるから思わず笑い転げてしまうのでしょう。
会ったときにそのような感情を持たれるということは、とても幸せなことです。愛されていること、信頼されていることの証しなのですから。
だからといって会った瞬間に変な表情を作るのはひきょうなことです。爆笑は目的ではなくものさしです。
そんなわけで、私は『富嶽百景』を読んで、自然な爆笑が得られるような関係を目指して人と付き合いたいな、と思いました。
(60行,原稿用紙3枚ぴったり)
おわりに
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