目次
あらすじ
<建築は記憶と美の器。民家は生活と無意識の器。>
建築って、ナンジャラホイ?
ヨーロッパと日本、それぞれの建築に関する歴史・変遷をたどりながら、「建築とは?」の本質に迫る新書。
読書感想文(2000字,原稿用紙5枚,100行以内)
建築って、改めて考えてみると(なんだろう?)と思う。
まず、この作文を書いているとき、私は屋内というか、自分の部屋にいます。一見したところ「ここ」は紛れもない「建築」だと思われます。
では、一体どこからどこまでが「建築」なのでしょうか。私が今いるこの場所について考えてみると、屋根とか窓とかドアとかが、なんだかいちばん「外側」であるように思えます。
そしてちょっと「内側」に入ってみると、床とか、壁なんかもおそらく「建築」でしょう。部屋の空気というか、空間みたいなところも「建築」にカウントするかどうかは怪しいところですが、「快適な住まい空間」というキャッチコピーがあったりするので、よしとします。そもそも人間の「体内」だって、胃の中を「体内」とするか「体外」とするか、見方によって変わりますし。
さて、さらにもっと「私」に近づいて考えてみると、私が今着ている「服」はどうでしょうか。服が「建築」だなんて、奇妙な考え方ですが、「私の身を(外の環境から)守るもの」という視点に立てば、両者の境界はあいまいになってしまいます。
「建築」が仮に私の部屋、「服」が私の着ている服を表すとすると、私がこの場から動かない限り、どちらも「建築」であるといえるし、どちらも「服」だといえるのではないか、と私は考えます。
「建築」だって「服」だって現在降っている雨(けっこう激しい)から私の身を守る役割を果たしているし、また温かさを保ってくれています。両者と私のそれぞれの距離もあまり違いは見うけられません。
私と上着はほとんど隙間のないくらい密着していますが、それは私と床の関係でもいえることです。
「距離」という視点、また「身体保護」という視点では、「建築」と「服」には厳密な違いを見つけられませんでした。
『フジモリ式建築入門』は、歴史的な観点から建築を語っています。「入門」とタイトルされているだけあって、太古から順にていねいに各建築様式を挙げながら解説を試みています。
「温故知新」という言葉があります。『論語』の「為政」由来のものです(子曰く、故きを温ねて新しきを知らば、以て師と為る可し)。
私たちが何か新しいことをしようと考えるとき、最新のデータや事例だけを調べるのではなく、昔のことも調べるといいよ、という意味です。昔のこと、古典的なことを知ることで、そこから新しい価値・意義を生み出すことができるという、なんだか魔法のようなテクニックだと私は思っています。
そういう意味で、『フジモリ式建築入門』のように、伝統を網羅的に学ぶことは、たいへん有用だと私は思います。写真や挿絵も数多く使われているし、新書らしくわかりやすい語り口で、とてもいい本だと思いました。特に「竪穴式住居」、「高床式住居」、「寝殿造」、「書院造」、「茶室」、「数寄屋造」、「ビザンチン」、「ロマネスク」、「ゴシック」など、高校生のときに機械的に暗記していた言葉が明快に説明されていました。
テレビやインターネットの観光地写真・動画でしばしば「これはこういう建築様式の建物なんですよ」と、それらが説明されているのを聞いていましたが、「そうなのか~」となんとなくいつも聞き流していました。
しかし『フジモリ式建築入門』のおかげで、大まかな特徴と、だいたいの流れのようなものを頭に入れることができました。これらの知識や解説は今後建築について学んでいく際に、一種の羅針盤のようなものになるのでは、と私は期待しています。
自分の知識と思考だけでは「距離」と「身体保護」の視点でしか考えられなかった「建築」ですが、本書を読んだことで「歴史」の視点からも考えることができるようになりました。
今までは「貝殻で海を測る」だったのが、「温故知新」によって「GPSで海を測る」くらいにはなったかな、とふと思いました。
(91行,原稿用紙4枚と11行)
おわりに
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