目次
あらすじ
写真、それは、生き延びるための光。
幸せの青い春を戦場カメラマンとしてささげた二人の物語。
ロバート・キャパ。
ゲルダ・タロー。
写真を変えたバディの軌跡をなぞる。
読書感想文(2000字、原稿用紙5枚)
スペイン内戦は1936年に始まり、1939年まで続きました。
アサーニャ率いる人民戦線政府(反ファシズム)とフランコ率いる反乱軍(ファシズム)が戦いました。
内戦はフランコのファシズム体制独裁政治に抵抗する戦いでありましたが、残念ながら人民戦線政府は敗北してしまいました。
当時の悲惨な様子を表したものとして、ピカソの絵『ゲルニカ』が有名です。
スペインで虐殺が起こっていて、それがまだ100年も経っていない昔だったというのは、現代日本に生きる私にとって想像を絶する事実です。
(私にとって)想像がむずかしい世界が存在していて、その世界の外にいるはずなのに、積極的に飛び込んでいき、取材をする人、それが戦場カメラマンです。
『キャパとゲルダ』は、そのような「非日常の危険と隣り合わせの職業」にスポットを当てた本です。
スタートは同じだったはずなのに、どうして差がついてしまったんだろう、と自分と他人を比べてしまうことがあります。
けっしてサボっていたはずではなかったのに、私とみんなの差は何なんだろう、と落ち込んでしまうことがあります。
ハンガリーから亡命してきたアンドレ・フリードマンは写真家として無名でした。
もしかすると、世の中に希望なんてなくて、自分に価値なんてないと嘆く夜も多かったかもしれません。
彼だって、あいまいに写真を撮ってきたはずではなかったのでしょうけど、ゲルダと出会ったときは歯牙にもかからないカメラマンでした。
「こいつは箸にも棒にも掛からぬカメラマンだ」と偏見をもたれると、仕方なく、どうしようもなく、写真が売れるはずもありません。
始まりの鐘は鳴って久しい。
先頭集団と自分の差はどのくらいかわからない。
いろんな人に追い越されてきた。
そんな状況で一発逆転するためには、大きな芝居を打たなければなりません。
神様もハマるほどの大嘘を、ゲルダとフリードマンはつくことにしました。
フリードマンは「ロバート・キャパ」という誰も知る由もない、架空の有名カメラマンのハリボテを掲げて、写真を売るようになりました。
うそをつくことで写真の腕が上がったわけでもないし、斬新なアイデアが湧き出るわけでもありませんが、フリードマンにとって、それまで前を走っていた写真家のように「写真で生活できること」は、彼の状況を想像するに、とても満ち足りた気分になっていたのではないかと思います。
のちに彼らの「演出」はばれてしまいますが、すでに「これが私たちだ」と胸を張って言えるような地位に二人は上り詰めていました。
いずれ判明する「偽物」であったとしても、それが露呈するまでの間に確固たる地位を作り上げていれば、正体が明らかになったとしても、時代の声に責められる筋合いはない。
そんな知見を私は得ました。
そもそも彼らが取り扱う「写真」それ自体が必ずしも「真実」を写し取るものではありません。
ある人がりんごをほおばろうとする写真をみたとき、私たちは十中八九「これは、食べられるりんごなのだな」と思います。
でも、そのりんごが食品サンプルである可能性は否定できません。
「食べられないりんご」を「食べられるりんご」に見せるのは、写真の上では簡単です。
ゲルダとフリードマンの有名な写真『崩れ落ちる兵士』についても多数の解釈があります。
戦場で撃たれた兵士が絶命する瞬間だ、という説もあれば、訓練兵が倒れただけで別に死んではいない、という説もあります。
フィルターを通して世界を解釈する写真家が、己自身をフィルターにかけ、世界の解釈を自分の望むままに変化させるのは、ある意味逃れられない本能なのかもしれません。
ただし、デマカセを二人はほとんど現実にしました。
欲張りの向こうへ自分たちの地位を上げ、後世に残る写真家となりました。
きっと彼らは天国で目を覚ましたとき、笑っているでしょう。
(1598字、原稿用紙4枚と14行)
おわりに
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