目次
あらすじ
1975年台北。蒋介石が死に、自分を可愛がってくれた祖父が何者かに殺された。
17歳の葉秋生は受験勉強を放り出して犯人を捜す。
台湾から日本、中国大陸へ。一家の流浪と決断の軌跡。
感想
流れ流れて、流れゆく。
人生は流転の連続だ。
過ぎ行く日々は戻らない。
日々は流れて、時々立ち止まりたくもなるけれど、たったひとりの人間の力では、とうてい時の流れには逆らえない。
どうしたって不可避なことはあるものだ。
時の流れに逆らうことはできない。
そして時代の流れにもまた、私たちは逆らうことができない。
蒋介石総統が亡くなったとき、台湾はそれ自身の流れを大きく変えた。
歴史の転換点にあって、『流』の主人公・秋生は流れる。
台湾から海を渡り日本へ。そこでも安住はせず、中国へと。
多くの人間と出会い、たくさんの経験をして、いろんな土地に行き、さまざまな影響を受ける。
その結果、彼は立派な人間として生きていくこと自信を持つことができた。
「流される」は、どちらかといえばマイナスのイメージが付きまとう言葉である。
しかし大いなる流れの中では、「流れる」も「流される」もどちらも変わらないのでは、とも思う。
動いたところで私たちはたぶんそれに抗えない。
それならば、よりエネルギー消費の少ない「流される」生き方のほうが合理的ではないか。
流れに逆らえないのであれば、あえて流されるという姿勢をとる。
エネルギーは、必ずしも即座に発散させねばならないというわけではない。
そしてそれをしかるべきときに使うのが、流される者の心得であると私は思う。
『流』の主人公・秋生は、ここぞというときには、一族の力を結集し、一族総出で困難に立ち向かった。
彼の流儀に胸がしびれたのは、たぶん私だけではないはずだ。
いつか流れが変わる瞬間に、有利な方向に飛びこめるように、力を溜めておくのもよい。
おわりに
「おすすめ小説リスト」はこちらから。
記事に対する感想・要望等ありましたら、コメント欄かTwitterまで。