目次
あらすじ
みさとが所属する放送部は廃部寸前。
美少女転校生の入部をきっかけに、コンクールを目指して各々が輝き始める。
<放送部なめんな――>
真剣で不器用な青春の物語。
【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)
私は写真部に所属していましたが、そのときの部員数も、『ABC!曙第二中学校放送部』における放送部の最初の人数と同じ、2人でした。
特にコンクールに出品するということはなく、私ももう一人の部員も、好きなときに部室に来て、好きなだけ写真を現像して帰る、という活動内容だったため、『ABC!曙第二中学校放送部』のように「廃部の危機!」というのは全然意識したことがありませんでした。
たぶん人数が少ない部活動で、「廃部になるからなんとかしないと!」って考える学生は、あんまりいないんじゃないかなと思います。そういうのは、なんとなくアニメやマンガや物語だけのような気がします。
そもそも日本社会全体が少子化しているので、どんなにがんばったところで部活がなくなってしまうことが避けられないような状況は珍しくなくなってきました。『ABC!曙第二中学校放送部』のように「なくなってしまう!やばい!」のようなストーリーがフィクションとして楽しまれることは、あと少ししたら、なくなるかもしれません。日常のありふれたものを面白く感じることは、たいていの場合難しいからです。自分自身が呼吸していることを「面白い!」とうきうきしないのは、そういう理由です(ちょっと違う?)。
さて、『ABC!曙第二中学校放送部』で印象に残ったセリフは「声は伝えるためにある。だれかを黙らせるためじゃない」です。
残念ながら、誰かを黙らせるために発せられる言葉は存在します。「黙れ小僧!お前にサンが救えるか?」のように直接「黙れ!」と言うこともあれば、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、最初に石を投げなさい」のように直接「黙れ!」と言わずともその場を静かにしてしまう言葉もあります(例が不適切?)。
『ABC!曙第二中学校放送部』で新納が主張するのは、そのような「だれかを黙らせる言葉」のために「声」は使われるべきではなく、「だれかになにかを伝える」ために「声」は使われるべきである、ということです。
私たちは、油断していると、知らず知らずのうちに「自分が言いたいこと」だけを声に乗せて誰かに浴びせかけてしまいます。
誰だって、自分の話が世界で一番大切で、価値があって、誰にとっても重要なことだと思い込んでしまいがちです。うっかり油断している方々がカフェーなどで「言葉のキャッチボール」ではなく、「言葉の雪合戦」のようなことをしているのをたまに見かけます。
(やってるな)としか思わないのですが、あえて『ABC!曙第二中学校放送部』の言葉を借りて言うならば、「声は伝えるためにある。だれかに向かって言うだけじゃない」です。
誰かと会話(のようなこと)をしているときに大切なのは、声を出すことではなく、また自分の好きなことだけを話すことでもありません。
大切なのは、目の前にいる人とコミュニケーションすることだと私は思います(当たり前か!)。
放送部は一見マイクに向かって話しているように思えますが、彼女たちはきちんとその向こうに存在するだれかをイメージして声を出しています。
直接姿が見えなくてもそのような心持ちで話すことができるのならば、眼前に相手がいるときは、とても簡単にその人のことを尊重してコミュニケーションすることができるはずです。
なにかを伝え、またその人からなにかを伝えられる、という本来あるべき「会話」ができることでしょう。
”ABC”というのは”Akebono Broadcasting Club”の略ですが、「基本」という意味もあります。本書を読むことで、コミュニケーションの基本を再確認することができました。
雪合戦は冬だけで十分です。
地球が温暖化したら、言葉で雪合戦するのもありかな、とは思いますけれど。
(88行,原稿用紙4枚と8行)
おわりに
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