目次
あらすじ
ある男が駆け込んできて訴えを始めた。
話を聞いているうちに、男は新約聖書に登場する「ユダ」で、師であるキリストを売りに来たのだと判明する。
訴えののちにユダは銀三十を受取り、「ざまあみろ!」と叫ぶ。
『駈込み訴え』の面白いところ
裏切り者のユダ
『駈込み訴え』の主人公はキリストの弟子・ユダです。彼はこの物語において2つの特徴を持ちます。
「ヤンデレ」と「BL」です。
わくわくするでしょ?
ヤンデレ
「ヤンデレ」とは、「病的なまでに誰かを愛すること」です。
「ヤン」は「病む」が変化したものです。
「デレ」とは「好意を相手に表現すること」です。
すなわち「ヤンデレ」とは一種の「狂信的な愛の形」なのです。
ユダの「ヤンデレ」の向かう先はもちろん、師であるキリストです。
彼の「殺したいほど好き」という感情の爆発が、『駈込み訴え』の魅力の一つです。
BL
「BL」とは「Boys Love」の略語で、フィクションの上における男性同士の愛を指します。
ユダはキリストに対して「師への思慕」を超えた愛情を示しています。
「あの人は、誰のものでもない。私のものだ。」というヒステリックな発言すらしています。
ユダもキリストも男性ですので、『駈込み訴え』はれっきとしたBL小説です。
太宰治によるBLノベルの極致が『駆け込み訴え』だと私は思っています。
キリストの描き方
『駈込み訴え』の特徴として、キリストを直接的には表現せずに、間接的に描いていることが挙げられます。
本文中に「イエス」や「キリスト」などの単語がまったく出てこないのです。私たちは『駆け込み訴え』の文中に「あの人」や「あいつ」という呼び方しか見つけることができません。
それでもこの物語が「キリストを売ったユダの話」だと読んだ人には絶対にわかります。
それが可能なのは、まったく太宰治の力量によるものだといえるでしょう。
【朗読CD】あの声優が読むあの名作:石田彰
これは完全に余談なのですが、声優・石田彰が『駈込み訴え』を朗読しています。
石田彰といえば「ガンダムSEED」の「アスラン・ザラ」や「銀魂」の「桂小太郎」、「エヴァンゲリオン」の「渚カヲル」が有名ですね。
貴腐人が好みそうなキャラクターばかりです。
つまり……ここまでで言いたいことはわかりますね。
読書感想文(1200字程度)
『駈込み訴え』はイエスの弟子の一人であるユダの話です。レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で左から四番目に座り銀貨の入った袋を持っている男がユダです。
彼はわずかばかりの銀貨でキリストを売りました。「十二人の弟子」に数え上げられるほどイエスに心酔していた(はずの)彼は、どうして師を処刑台に送るようなことをしたのでしょうか。
太宰治はそんなユダの行動の理由を考えていて、この小説を書いたのだと思います。
『駈込み訴え』のユダはどこか情緒不安定で、語るうちからその考えがころころ変わります。
「あなたがこの世にいなくなったら、私もすぐに死にます。生きていることができません。」と語るくせに、その後で「(キリストは)殺されたがってうずうずしてやがる」と言ったりします。
これはどういうことでしょうか。
ユダは頭のネジが外れている男だ、と言うこともできますが、私はそうは思いません。
私はユダの心は最初から最後までほとんど変わりがないと思っています。人はそうそう簡単に変わることができないからです。
「私の眼には狂いがないはずだ。」とユダが自身のことを語るように、彼は自分はキリストの気持ちを正確に読み取れると思っています。
でもその後に「私の言うことは、みんな出鱈目だ。」と言います。ここも支離滅裂です。
でもこの二つの発言と、ユダがキリストの弟子であり彼を慕っていたということから考えるに、ある事実が浮かび上がってきます。
「恋は盲目」です。
これが『駈込み訴え』のユダを読み解くキーワードになると私は考えました。
ユダとキリストはどちらも男性ですので一概にその気持ちを「恋」だと断言することはできませんが、ユダがそれにとても近い感情を抱いていたと考えるのは不自然ではないと私は思います。
私はユダのさまざまな発言・行動の源泉はすべて「キリストを愛しているから」に集約されると思っています。
好きな人にいつも「好きだ」とは言わず、たまにちょっと冷たくしたりすることって誰にでもあることですから。
というわけで『駈込み訴え』はユダの「愛の告白」である、ととらえることもできるわけです。この小説の中には恋する人が友だちに話す「のろけ話」のエッセンスがぎっしり詰まっています。
好きな人(キリスト)の良いところも悪いところも書かれており、ジェラシイを感じることとか、良いところは私だけが知っているのだという優越感だとか、『駈込み訴え』はユダの「キリストへの愛」がふんだんにちりばめられた作品です。
ユダはキリストのことを誰よりも愛していました。それは「自分は世界中の誰よりもキリストのことを知っている」という盲目的な思い込みが中心でした。
だからたぶんキリストが他の女に感情を動かされたり「私はもうすぐ死ぬ」という発言に必要以上に敏感に反応してしました。
ユダはそれを「別れの言葉」だと解釈したのです。
別れを告げられたユダは「あの人を他人に手渡すくらいなら、その前に殺してあげる」という気持ちで警察の元に駈込み、物語の冒頭につながったわけです。
恋する男は恐ろしいですね。
(1292字)
おわりに
過去に書いた読書感想文はこちらから。