目次
あらすじ
保吉には行きつけのたばこ店があった。
あるときから若い女が店番に座るようになった。どうやら店の主人の妻らしい。
保吉はからかって楽しむが、とつぜん彼女の姿を見なくなる。
次に見かけたのは女が赤ん坊を「あばばばばばば、ばあ!」とあやす姿だった。
保吉は「図々しい母になってしまった」と感じる。
【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)
『あばばばば』というタイトルを見て「なんだこりゃ」と思いました。
それがこの小説を読むきっかけです。
読む前は「きっと主人公がなにか危機にあって、もがき苦しむときの悲鳴なんだろうな」と思っていました。
でも『あばばばば』は冒険も殺人もない日常のお話でした。
「あばばばば」とは母親が赤ん坊をあやすときの声です。
主人公・保吉はなじみの店の若い奥さんが急に姿を消したことが気になっていました。
彼はそれまで散々彼女をからかっていましたから「ちょいともの足らなさを感じた」とあります。
次に姿を現したときには、彼女は母親になっていました。
店の前で赤子を抱き「あばばばばばば、ばあ!」と繰り返していました。
保吉は女に背を向け「にやにや」笑います。
私が『あばばばば』を読んで気になったのはこの場面です。
保吉は、以前の初々しくかわいらしい様子だった女と親になった女を比べてこう思います。
「この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々しい母を見出したのは、……」
保吉は女が赤子の「母親」となり涼しい表情をするようになったことを「好い」と思います。
ですが一方で彼女のことを「図々しい母」と形容することでその変化に対するいやな気持ちを表現しています。
私は保吉がこう思ったのを、自分勝手なことだと思います。
保吉は『あばばばば』の中で女にいじわるを言ったりじっと見つめて赤くなるのを楽しんだりします。
それは好きの裏返しというより、純粋に他人が困っているのを見て楽しい、というような保吉の性格を反映していると思います。
私が考えるに、保吉は自分さえ楽しければいい、と思うような人間です。
『あばばばば』全体から私はそんな印象を受けました。
特にココアの有無をめぐるエピソードは、読んでいてむかむかしました。
保吉はなんて性根が悪いやつなんだろう、と思いました。
保吉はまた女のことを「オジギソウ」と称しました。
「この女は云はばオジギソウである」や「美しい緑色の顔をしてゐる」などと書いてあります。
彼女をちょっとでも見つめたり、ちょっとでも触れたりするだけで、思った通りの反応をするに違いない、なんて保吉は思っています。
ほんとうにいやなやつです。
でも、そんな保吉の上から目線の優越感は、最後に打ち砕かれます。
女が赤ん坊を連れて店先に出たとき、つまり彼女が「図々しい母」となったとき、保吉のいじわるな行動に何の反応も見せなくなりました。
そのときの彼の気持ちが直接書かれた文章はありません。
ですがきっと、保吉は面白くなかったに違いありません。
私は、彼が「自分より弱いものをいじめて楽しむような」人間に違いないと思います。
小説のはじめに保吉は「海軍の学校へ赴任した」と書いてあります。
軍隊は上下関係がきびしく、上の地位の人には絶対従わなければいけないところです。
保吉がそこで先生をしているのは、『あばばばば』で彼が女にしたように「弱いものいじめ」ができるからだと私は思います。
たぶん身体が弱かったり弱気だったりする生徒をしごいているに違いありません。
私は『あばばばば』を読んで感じたことは、以上です。弱いものいじめはいけませんね。
(84行,原稿用紙4枚と4行)
おわりに
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