夏目漱石『吾輩は猫である』読書感想文|にゃんと愉快なねこ日記

目次

あらすじ

 

 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
 日本一有名な猫による、愉快な人間観察。

 

 猫はもちろん、苦沙味先生、迷亭殿に、寒月さんなどユニークな登場人物たち。
 苦沙弥先生の書斎に集まる珍談・奇譚、小事の数々を猫の視点から風刺的に描く。
 長編小説とはいえ、一回一回が完結している全11話で、分厚さの割に読みやすい。

 

 

【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)

 

KKc
 「吾輩がおもちから学んだ4つのこと」

 

 『吾輩は猫である』の主人公の猫はとても賢い。
 人間の言葉を理解し(主人の日記を盗み読む)、猫同士でコミュニケーションをし、俳句を詠んだり(書を読むや踊るや猫の春一日)、失敗から学んだりします。

 

 特に私が「おお」と感じたのは次のセリフです。
 「人間というものは到底吾輩猫属の言語を解し得るくらいに天の恵に浴しておらん動物である」

 

 人間は、自分たち猫の言葉が分からない。なんてかわいそうな動物だろう、です。私は昔猫を飼っていたことがあるのですが、これを読んで「あの子もこんな風に思っていたのかな」と考えてしまいました。「今日の魚はあんまりおいしくないぞ。安物か?」なんて思っていたのかもしれません。

 

 また『吾輩は猫である』はユーモアがあって、笑える小説です。なかでもいちばん面白かったのが、猫が正月のおもちを食べるところです。そこで猫は4つの教訓を思いつきます。この教訓が面白いのです。

 

 「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」
 「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」。
 「危きに臨めば常なし能わざるところのものを為し能う。これを天祐という」
 「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」

 

 深夜、台所に忍び込んだ猫はおもちを見つけます。別にそんなに食べたくはないけれど、この機会を逃したら次に食べられるのはいつになるかわからない。おもちって年末年始しか食べないものですから。そして思ったのが最初の教訓です。「バーゲン」や「セール品」や「期間限定」なことって魅力的だよね、という話です。

 

 ということで猫は、がぶりとおもちに噛みつきます。しかし「何かおかしい」と思います。ここで二つ目の教訓が頭をよぎります。猫が何を考えたかというと、「おもちが噛み切れない」です。

 

 なんとか歯を抜こうともがくうちに、偶然、猫は後ろ足だけで立つことができました。猫なのに二足歩行。おもちのおかげです。これが第三の教訓の意味です。ピンチになるとできないことができるよね、という教訓です。

 

 「早くとってやれ」と御三に言う主人の優しさによって、猫はおもちの苦しみから解放されます。そこで第四の教訓です。困難なんていらない、という猫の心の叫びが聴こえてくるようです。ちなみに読みながら私も笑ってしまいました。

 

 このように『吾輩は猫である』はいろいろな「教訓」や「真理」がおもしろおかしく描かれています。なので、むしろ小説というよりかは、夏目漱石のエッセイといったほうが近いんじゃないかなと思いました。

 (60行,原稿用紙3枚ぴったり)

 

【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)

 

KKc
 「吾輩がおもちから学んだ4つのこと」

 

 猫の主人・苦沙味先生は、才能がないのに俳句、弓、謡、絵などに手を出します。
 「何をやっても永持しない男である」と猫が語るように、苦沙味先生はカキのように部屋にこもって数々のことをやります。「下手の横好き」という、下手だけど何かを熱心にやっている人をからかうような言葉がありますけど、私はこのような姿勢はよいと思います。

 

 なぜなら、何かをやらずに自分がそれに向いているかどうかなんて、わかりっこないからです。たとえば野球だってバットを振らなければ自分がどのくらいボールを飛ばせるのか、そもそもボールに当てる能力があるかどうか、わからないですよね。

 

 やらないうちには何も判断できない。そして同時に、やらないと何事も上達しないと私は思います。

 

 このような「少しでも興味を持ったらやる」という姿勢の苦沙味先生だからこそ、物語のはじまりで「吾輩」を拾ったのだと思います。だから苦沙味先生は、この物語に出るべくして登場したキャラクターだとも私は思います。

 

 さて『吾輩は猫である』の主人公の猫はとても賢いです。
 人間の言葉を理解し(主人の日記を盗み読む)、猫同士でコミュニケーションをし、俳句を詠んだり、また失敗から学んだりします。

 

 特に私が「おお」と感じたのは次のセリフです。
 「人間というものは到底吾輩猫属の言語を解し得るくらいに天の恵に浴しておらん動物である」

 

 人間は、自分たち猫の言葉が分からない。なんてかわいそうな動物だろう、です。
 私は昔猫を飼っていたことがあるのですが、これを読んで「あの子もこんな風に思っていたのかな」と考えてしまいました。「今日の魚はあんまりおいしくないぞ。安物か?」なんて思っていたのかもしれません。

 

 さて『吾輩は猫である』はユーモアがあって、笑える小説です。百年くらい前に書かれた作品なのに面白いなんて、とてもすごいことだと私は思います。

 

 なかでもいちばん面白かったのが、猫が正月のおもちを食べるところです。そこで猫は4つの教訓を思いつきます。

 

 「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」
 「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」。
 「危きに臨めば常なし能わざるところのものを為し能う。これを天祐という」
 「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」

 

 深夜、台所に忍び込んだ猫はそこにおもちを発見します。別にそんなにおもちを食べたくはないけれど、この機会を逃したら次に食べられるのはいつになるかわからない。おもちって年末年始しか食べないものですから。そして思ったのが最初の教訓です。「バーゲン」や「セール品」や「期間限定」なことって魅力的だよね、という話です。

 

 ということで猫は、がぶりとおもちに噛みつきます。しかし「何かおかしい」と思います。ここで二つ目の教訓が頭をよぎります。猫が何を考えたかというと、「おもちが噛み切れない」です。

 

 なんとか歯を抜こうともがくうちに、偶然、猫は後ろ足だけで立つことができました。猫なのに二足歩行。おもちのおかげです。これが第三の教訓の意味です。ピンチになるとできないことができるよね、という教訓です。

 

 ちなみに猫がおもちに苦戦している間、物音を聞きつけた家族が台所に集まってきて、苦戦する姿を見てげらげら笑っています。主人だけがその様子を見て「早くとってやれ」と優しさを見せてくれました。

 

 猫がおもちの苦しみから解放されたときに、第四の教訓が得られました。困難なんていらない、という猫の心の叫びが聴こえてくるようです。ちなみに読みながら私も笑ってしまいました。

 

 このように『吾輩は猫である』はいろいろな「教訓」や「真理」がおもしろおかしく描かれています。なので、むしろ小説というよりかは、夏目漱石のエッセイといったほうが近いんじゃないかなと思いました。

 (89行,原稿用紙4枚と9行)

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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