わかる人は大人。―芥川龍之介『トロッコ』【読書感想文】あらすじ付

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芥川龍之介『トロッコ』あらすじ

 良平は工事のために土を運ぶトロッコを見るのが好きだった。

 一度だけ弟と隣の子どもとトロッコで遊んだことがあるが、そのときは工事場の大人に怒られてしまった。

 ある日良平は叱られなさそうな土工を見つけ、頼み込んでトロッコを押す許可をもらう。

 上りではトロッコを押し、下りではトロッコに乗る。

 はじめは楽しく思っていた良平だったが、暗くなり始めた空を見て不安になる。

 土工に別れを告げ良平は走った。

 心細さはあったが泣かずに家までたどり着いた。

 自分の家で良平は、近所が集まってくるほどの大声で泣き続けた。

【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)

KKc
「トロッコが教えてくれた”大人になること”」

 私はこの小説を、トロッコを押したりトロッコに乗ったりすることで、良平が「大人」になる物語だと思いました。

 はじめ良平はトロッコに強いあこがれの気持ちがあります。「せめては一度でも土工と一緒に、トロッコへ乗りたいと思う事もある」と書いてあります。

 ただトロッコに乗りたい、という気持ちではなく「土工と一緒に」と良平は考えます。だから子ども三人でトロッコに乗っても良平は満足しませんでした。良平は心の底で「何かちがう」と思っていたのでしょう。

 たぶん良平にとっては「土工と一緒に」トロッコに乗ることが大切だったのです。だから良平は麦わら帽子をかぶった土工にどなられた後は、誰もいない工事場でも「トロッコに乗ろう」という気持ちが起きなかった。

 そんな彼の前に若い土工が二人現れます。
 彼らは「何だか親しみやすいような気がした」「この人たちならば叱られない」という風に良平の目に映ります。それは半分当たっていて、良平は「土工と一緒にトロッコを押すこと」を許可されます。

 半分当たっていると書いたのは、きっと若い土工たちは良平のことを都合のいいように利用したかっただけだったからです。
 土工たちは良平について何も訊きません。それは彼のことを「どうでもいい」と思っていたからです。
 その証拠に日が暮れてから良平に「われはもう帰んな」と冷たく言います。良平は使い捨てにされました。良平のことはただの「手伝ってくれる子ども」としてしか見ていなかった。

 土工たちに帰れと言われたとき、ショックで良平は泣きそうになりますが「泣いている場合ではない」と気を取り直します。

 ここは大事な場面です。
 ここでこう思ったことが良平にとって本当に「大人になること」だったと私は思います。「大人になること」とは「大人と一緒に何かをする」ことではなくて「何かをすることに責任を持つこと」だと思いました。

 トロッコで進んだら、いつかは帰ってこなければいけない。それは自分の足で。
 旅立つ前には考えもしなかったことを、良平は身をもって理解しました。

 そういう意味で良平を誘った若い大工たちは「大人」でないと私は思います。彼らは良平に対して責任を持たなかったのですから。
 良平はそのような「大人でない人たち」から「大人とは」を学びました。これはすごいことだと思います。

 テストで「よい成績でない人たち」を観察して「よい成績をとるためにはどうすればいいか」を学ぶことのようなものだからです。
 だから良平はおじさんになってからも、『トロッコ』の体験を思い出すことだあるのだろうと私は思いました。

 (59行,原稿用紙2枚と19行)

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【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)

KKc
「トロッコが教えてくれた”大人になること”と”よい成績をとる方法”」

 『トロッコ』主人公の良平は8歳です。
 今でいうと小学三年生くらい。子どもです。
 私はこの小説を、トロッコを押したりトロッコに乗ったりすることで、彼が「大人」になる物語だと思いました。

 小説の最後ではおじさんになった良平が「そのときのこと」を思い出すことがある、と語っています。
 それが、『トロッコ』は良平にとって「大人の階段」を登る話だと、私が考えるようになったきっかけです。

 はじめ良平はトロッコに強いあこがれの気持ちがありました。
 トロッコを押す土工の姿を見つめ、トロッコの通る線路のしなりを発見し、トロッコの走る姿をながめます。

 「せめては一度でも土工と一緒に、トロッコへ乗りたいと思う事もある」とも書いてあります。
 ただトロッコに乗りたい、という気持ちではなく「土工と一緒に」と良平は考えるのです。

 だから弟と、隣に住む子どもと三人でトロッコに乗っても良平は満足しませんでした。このとき「良平はほとんど有頂天になった」けれど「さあ、もう一度押すのじゃあ」と言います。

 これは「楽しかったからもう一回やろう」という気持ちも少しはあったと思いますが、心の底で「何かちがう」と思っていたせいだと思います。

 たぶん良平にとっては「土工と一緒に」トロッコに乗ることが大切だったからでしょう。
 「トロッコに土工と一緒に乗ること」が「自分が大人になる」ことだと思っていたのだと思います。

 自分よりも体が大きく立派に思える土工たちと同じ仕事をすることで、「大人」の仲間入りをしたいんだ、という良平の気持ちを私は読みとりました。

 だから良平は麦わら帽子をかぶった土工にどなられた後は、誰もいない工事場を見ても「トロッコに乗ろう」という気持ちが起きなかったのです。

 そんな彼の前に若い土工が二人現れます。
 彼らは「何だか親しみやすいような気がした」「この人たちならば叱られない」という風に良平の目に映ります。それは半分当たっていて、良平は「土工と一緒にトロッコを押すこと」を許可されます。

 半分当たっていると書いたのは、きっと若い土工たちは良平のことを都合のいいように利用したかっただけだったからです。

 土工たちは良平について何も訊きません。それは彼のことを「どうでもいい」と思っていたからです。

 その証拠に日が暮れてから良平に「われはもう帰んな」と冷たく言います。良平は使い捨てにされました。

 最初から土工たちはそう思っていたのでしょう。二人だけでトロッコを押すよりも三人で押すほうが楽に決まっています。良平のことをあれこれ訊かなかったのは必要がなかったからです。良平のことをただの「手伝ってくれる子ども」としてしか見ていなかったのです。

 でも良平はそんなことに気づかず、日暮れまでにかなり遠くに来てしまいました。
 土工たちに帰れと言われたとき、ショックで良平は泣きそうになりますが「泣いている場合ではない」と気を取り直します。

 ここは大事な場面です。
 ここでこう思ったことが良平にとって本当に「大人になること」だったと私は思います。

 「大人になること」とは「大人と一緒に何かをする」ことではなくて「何かをすることに責任を持つこと」だと思いました。

 トロッコで進んだら、いつかは帰ってこなければいけない。それは自分の足で。
 旅立つ前には考えもしなかったことを、良平は身をもって理解しました。

 そういう意味で良平を誘った若い大工たちは「大人」でないと私は思います。彼らは良平に対して責任を持たなかったのですから。
 良平はそのような「大人でない人たち」から「大人とは」を学びました。これはすごいことだと思います。

 テストで「よい成績でない人たち」を観察して「よい成績をとるためにはどうすればいいか」を学ぶことのようなものだからです。

 今まで私は、よい成績をとるためにはよい成績をとれるような勉強法をすればいいと思っていました。
 でも、「それまでの悪い勉強法」を見直すことも、よい成績をとる一つの方法だと発見しました。

 『トロッコ』は私に「大人になること」と「よい成績をとる方法」を教えてくれました。

 (98行,原稿用紙4枚と18行)

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「これって英語でなんて書くの?」っていうカタカナがよくある。たとえば「パソコン」とか。

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