夏目漱石『夢十夜』問題と解説と読書感想文

※『夢十夜』は青空文庫で無料で読めます。

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「第一夜」あらすじ

 女が「百年、私の墓のそばに座って待っていてください。きっと会いに来ますから。」と言って死んだ。
 女を埋めたところから百合が咲く。
 「自分」は百年が過ぎたことを知った。

「第一夜」問題と解説

Q.<真っ黒な瞳の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。>とはどのような様子を表しているか?
A.女が自分のことをしっかり見つめているということ。

Q.<ほら、そこに、写ってるじゃありませんか>の「そこ」とは、どこをさすか?
A.自分の瞳。

Q.「百年待っていてください。」の「百年」とは、どのような時間か?
A.気が遠くなるような長い時間のこと。

Q.<静かな水が動いて映る影を乱したように、>とあるが「静かな水」とは何のことか?
A.女の涙のこと。

Q.<星の破片は丸かった。>とあるが、丸い星の破片はどのようなイメージを持つか?
A.女の<輪郭の柔らかなうりざね顔>のイメージ。

Q.<やわらかい土を、上からそっとかけた>のは、どのような気持ちからか?
A.思いを込めて、心を込めて丁重に女の墓を作ろうという気持ち。

Q.星の破片を<抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖かくなった。>のはなぜか?
A.女の<輪郭の柔らかなうりざね顔>のイメージを持つ星の破片を、女本人のように丁寧に扱ったから。

Q.<苔の生えた丸い石>が表しているのはどのようなことか?
A.どれくらいかわからなくなるほど時が経っていたこと。

Q.<真っ白な百合>はどのようなイメージを持つか?
A.女が生きていたころの「真っ白な頬」と重なるイメージを持つ。

Q.<真っ白な百合が鼻の先で骨にこたえるほど匂った。>の「骨にこたえるほど」とは、どういうことか?
A.百合の香りで女のことを思い出すほど、自分の感情が揺さぶられたということ。

Q.百合が女だとわかったのはなぜか?
A.百合は「百」年後に「合」うという名前だから。
  女の肌と同じく、真っ白だったから。

Q.「女」と「百合」の描かれ方を比較し、両者にどのようなつながりがあるか述べよ。
A.女<真っ白な頬>⇔百合<真っ白>
  女<長いまつ毛の間から涙が頬へ垂れた。>⇔百合<ぽたりと露が落ちた>
  女<静かな調子>⇔百合<ふらふらと動いた>
  以上から、百合は女の生まれ変わりだと考えられる。

Q.『第一夜』のどういう点に夢らしい特徴が表れているか?
A.最後の場面で暁の星が輝いていたところ。暁の星とは金星のこと。金星は英語でVenus(ヴィーナス)といい、「女神」や「美女」を表す。
  百年があっという間に過ぎていったこと。
  真珠貝で穴を掘ったり、そのとき月光がきらきらしたり、幻想的な雰囲気であること。

Q.「第一夜」から色彩表現を抜き出し、それぞれのはたらきや効果について述べよ。
A.<真っ白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色はむろん赤い。>
  <透き通るほど深く見えるこの黒目の色沢>
  【はたらき・効果】女が死にそうな状態ではなく、健康で美しいことを表している。
  <赤いまんまでのっと落ちていった。>
  【はたらき・効果】太陽の沈む様子が、女が赤い唇のまま死んでいったことと対応している。

「第一夜」【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)

KKc
最も美しい、百合の花に接吻する最後の場面について

 日本人に「日本人作家でいちばん好きな小説家は誰ですか?」と訊ねたら、たぶん「夏目漱石」と答える人が最多でしょう。かつてお札であった人は強い。

 夏目漱石の作品は『こころ』『坊っちゃん』『吾輩は猫である』『夢十夜』を読みましたが、私がいちばん「小説らしい」と思うのは『夢十夜』です。特に「第一夜」が私は日本語で書かれた小説で最もすばらしい小説だと思います。どうして夏目漱石はノーベル文学賞を獲れなかったのかと私は首を傾げるのですが、私の好きな太宰治や星新一、村上春樹なども受賞していませんから、世界の好みと私の好みが違うのだろうと思っています(村上春樹は数年後にもらえるかもしれませんが)。

 さて、私が『夢十夜』の「第一夜」の好きなところは、百合の花に接吻する、最後の場面です。少し長いですが引用します。

 <すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。>

 引用しようと読んでいて気がついたのですが、このシーンで無駄な文章はひとつもありません。すべての文が意味のある文であり、どれを抜かしても、この再会の場面はまったくその美しさを失ってしまいます。そもそも「女が白百合となって男の前に現われた」などとは書かれていないのに、私を含めたぶん読んだ人ほぼ全員がそう感じるような文章になっているのがすごい。夏目漱石の天才が端的に示されていると思いました。

 百合が芽を出し生長し、「自分」の目の前でふっくらと花を開く。そこから香ったのは、骨までしみ入るほどの、感動でした。「自分」はごく自然に接吻し、空を見上げ、そこに金星が輝いているのを認める。「百年はもう来ていたんだな。」と彼は初めて約束の時間が来たことを知りますが、このひとり言は「第一夜」で「自分」がカッコ付きで発声した初めてのことばでした。とても印象的な締めくくりです。余韻を残す終わり方とはこういうものかと思いました。

 正直に申し上げると、読書感想文を書いているいまも、若干胸の奥に何かが残っているような気がします。書き終えて今夜夢の世界に入ったとき、私も誰かと百年後に再会する夢が見られるかもしれません。

(60行,原稿用紙3枚ぴったり)

「第六夜」あらすじ

 明治の時代に、鎌倉時代の彫刻家・運慶が現れた。
 彼は一生懸命、仁王の像を彫っている。
 それを見物していた「自分」は自分も彫ってみたくなって家に帰るが、仁王を彫ることはできなかった。

「第六夜」問題と解説

Q.「第六夜」は文中に「夢」という言葉が出てこないのに、夢のことだとわかるのはなぜか?(どういう点に夢らしい特徴が表れているか?)
A.鎌倉時代らしい舞台(護国寺の山門)で、鎌倉時代の彫刻家・運慶が仁王を彫っているのに、それを見物しているのは明治時代の人だから。
  場所と時間と登場人物がばらばらなので、夢のできごとだとわかる。

Q.自分が<帽子をかぶらずにいた男>を無教育な男だと思ったのはなぜか?
A.わかるはずがないのに、仁王(彫刻)の強さと神さまの強さを比べているから。
  昔話やうわさ話、評判などを鵜呑みにして信じているから。

Q.<運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。一切振り向きもしない。>とあるが、若い男はこの様子をどう言っているか?
A.<眼中に我々なしだ。>

Q.運慶の服装が古くさく、わいわい言ってる見物人とはまるで釣り合いがとれない様子なのは、なぜか?
Q.自分が<どうも不思議なことがあるものだ>と考えた理由は?
A.「鎌倉時代に生きていたはずの運慶が、明治時代にいて仁王を彫っている」という夢の中の光景だから。

Q.運慶がどんな人物かわかる部分を抜き出し、彼の性格を説明せよ。
A.<運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。一切振り向きもしない。>
  時代にも周りの人の声にも流されない人物。

Q.見物人たちはどのような人々として描かれているか?
A.好き勝手に感想を述べたり、適当なことを言ったりするような人々。

Q.<自分はこの言葉をおもしろいと思った>のはなぜか?
A.運慶は見物人がいないかのように一生懸命彫っている。見物人は無視されているので良い気持ちにならないはずだが、「あっぱれだ。」と逆に運慶の彫刻に対する態度を絶賛しているから。
  若い男は冷静に運慶のすごさを判断しているから。

Q.若い男が言った<大自在の妙境に達している。>とはどのようなことか?
A.運慶が、鑿と槌を自由自在に操って仁王を彫っているということ。
  少しも迷いがなく、どんどん眉や鼻を木をから浮き上がらせていくこと。

Q.<その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。>とあるが、「無遠慮」と同じ表現を抜き出せ。
A.<無造作に>

Q.<自分はこのとき初めて彫刻とはそんなものかと思い出した。>とあるが、「そんなもの」とはどのようなことか?
A.彫刻とは眉や鼻を鑿で作るものではなく、眉や鼻が木の中に埋まっているものを、鑿と槌の力で掘り出すものだということ。

Q.自分が彫り始めたとき<仁王は見当たらなかった>のはなぜか?
A.明治の木には仁王が埋まっていなかったから。

Q.<運慶が今日まで生きている理由もほぼわかった。>とあるが、その理由とは?
A.仁王のようなすばらしい芸術作品を作り出すことのできる人物が、明治時代まで現われなかったから(芸術文化はどんどん衰退していっていることを表している)。

Q.「骨が折れる」で短文を作れ。
A.国語の課題は骨が折れるが、やらなければならない。
  風呂掃除は骨が折れる。

Q.「……やいなや……」で短文を作れ。
A.家を出るやいなや、雨が降ってきた。
  家に帰るやいなや、大きな犬が抱きついてきた。

「第六夜」【読書感想文】原稿用紙4枚(1600字,80行)

KKc
書き出しのもたらす時間差とワイン化

 『夢十夜』の「第六夜」の書き出しはこんなふうです。

 <運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。>

 この文章を読むやいなや、私たちは明治時代の護国寺の前にタイムスリップしてしまいます。そして「自分」や「若い男」、他の見物人らと共に、運慶の無造作な彫刻を眺めることになるのです。

 私はこのように、小説の始まりから読者をぐいっと別世界に連れてゆくような作家を他に知っています。
 中島敦です。
 現代文の授業でも扱われた『山月記』の始まりを引用します。

 <隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。>

 (なんだなんだ)と考える間もなく、中国の、それも大昔の時代へ中島敦は読者を連れて行きます。このような語り口を、『夢十夜』の「第六夜」の書き出しを見て私は思い出しました。

 さて『夢十夜』の「第六夜」は、夢の話らしく、とても奇妙な状況が起きています。鎌倉時代の人であるはずの運慶が、明治時代に現れて木を彫刻しています。しかも、無言で。

 私は最初、ジョークとか、笑いを狙った小説かと思いました。じっさい夏目漱石は『吾輩は猫である』など、笑える楽しい小説を書いています。だから「第六夜」もその種類の作品かなと考えたのです。しかし最後まで読んでみるとそうではないことがわかりました。これは、たぶん悲しい物語です。

 「自分」は運慶の仕事っぷりを見て、「誰にでもできることではないか」と思いはじめ、家に帰って薪を掘ります。でも、いくら彫っても運慶のように見事な仁王像は出来上がりません。「自分」はその理由を「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていない」からと悟ります。

 誰にでもできることなのにどの木からも仁王を彫ることができない。

 矛盾した命題のように思えますが、「木」を「明治の木」に書き換えると理解が進みます。

 誰にでもできることなのに明治の木からは仁王を彫ることができない。

 運慶と「自分」の最大の違いは「時代」です。鎌倉時代と明治時代の時間差です。その時間差こそが、「自分」が仁王を彫れなかった最大の理由に繋がると私は考えます。

 仁王像を作ることのできる人物も、木も、明治の時代には失われてしまった。『夢十夜』の「第六夜」はそんな「自分」の悲しみの物語です。私たちは「自分」が明治時代で鎌倉時代との時間差を感じたように、「第六夜」の書き出しによって、平成時代と明治時代の時間差を感じます。二重の意味で時間差を感じることになるのです。

 だからこの小説は、時間が経てば経つほど、その深みが増していく、まるでワインのような作品だと思いました。

(70行,原稿用紙3枚と10行)

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

過去に書いた「読書感想文」はこちらから。

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