『蟹工船』読書感想文|自分の脚を食べる生き方に未来はない

あらすじ

 「おい地獄さ行ぐんだで!」
 蟹工船・博光丸は函館を出航した。
 船長よりも偉い「監督」によって船員はひどい扱いを受ける。
 船員たちはストライキを起こす。
 監督を「ぶちのめした」あと、駆逐艦が来てストライキは失敗に終わる。
 しかし二回目のストライキは成功したようだ。

原稿用紙3枚(1200字,60行)

KKc
「自分の脚を食べる生き方に未来はない」

 

 「おい地獄さ行ぐんだで!」という書き出しにびっくりしました。
 函館の港から出航した蟹工船。そこはぼろぼろで、汚く、臭い。生活環境・労働環境は「悲惨」のひと言に尽きます。文字通り骨の髄までしぼりとられる労働者たち。彼らは身体的・精神的につらい生活をさせられ、とても「人間らしい」とは言えない扱いを受けています。

 

 蟹工船に乗る「監督」は船長より偉い様子です。
 <給仕はこんな場合の船長をかつて一度だって見たことがなかった。船長の云ったことが通らない? 馬鹿、そんな事が! だが、それが起こっている。 ――給仕にはどうしても分らなかった。>

 

 さて、船内の最高権力者である監督は「鮭殺しの棍棒」を持っています。彼はとても高圧的に船員に接します。
<「貴様等の一人、二人が何んだ。川崎一艘取られてみろ、たまったもんでないんだ」>
 船員の命よりも船のほうを大切に思う、監督の言葉です。労働者が死ぬことは、監督をはじめとした、企業の偉い人には「どうでもいい事」なのです。

 

 たぶん彼らは労働者たちを人間だと思っていません(だから平気でひどいことができる)。棍棒で殴ったり、沈没しそうになっている船を見捨てたり(助けると無駄な燃料と時間とエネルギーをとられるから)。蟹工船で働く人々のことを、人間なのに「匹」で数えるし。

 

 監督は「日本男児として」とか「大日本帝国のためだ」とか「国富」とか、「きれいな」言葉を使って自分の行動を正当化します。また、優秀な者には「賞品」を出す、成績が悪い者には「焼き」を入れるなど、あの手この手でばりばり働かせようとします。

 

 人間をこのように非人間的に働かせることは、(作中で出てきたように)タコのように自らの身を削る行為で、未来をまったく考えていない、おろかなやり方であると私は思います。

 

 タコは極限状態にさらされると、生き延びるために自分の脚すら食べると書かれています。そのようなふるまいは、一時しのぎの道としてはある意味合理的かもしれませんが、長期的な視点に立つと、あまりよい手ではないと思います。それは破滅への道であり、やめられないでいると、やがて脚を食べ尽くしたタコは泳ぐこともできなくなり、海を漂っているうちに他の生き物に食べられてしまうでしょう。

 

 「いま」を犠牲にするような存在には、未来はありません。
 たまには「いま」を振り返ってみて、「自分の脚を食べてはいないか」を確認しようと思いました。
(60行,原稿用紙3枚ちょうど)

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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