ニーチェ『ツァラトストラかく語りき』あらすじと感想|アルパ!

あらすじ

第一部

 ツァラトストラは山にこもっていたが、「下界に光をもたらさん!」として下山する。
 山のふもとに住む聖者と出会い、彼は自分の価値観とキリスト教のそれとが相容れないものだと知る。そして「神は死んだ!」と自らの胸に言った。

 

 ツァラトストラは街に出る。そこで綱渡人の死を目撃した。彼を埋葬したあと、ツァラトストラは同伴者を求めるようになる。

 

 あるときツァラトストラは昼寝をしていた。突然マムシに噛まれるが、無事だった。そのことから得られる教訓は?と弟子たちに問われる。
 いつの間にかツァラトストラには弟子ができていた。彼は弟子たちとともに「彩牛」という市に滞在していたが、独りでそこを離れることを決めた。

 

第二部

 ツァラトストラは山へ舞い戻り、洞窟で思索にふけった。
 舞台は「幸福なる島」へ移り、彼はそこで弟子たちに説教をしたりなどして過ごす。

 

 たまに冒険もする。
 タランテラ(毒グモ)の巣を観察したり、クピドを召喚して乙女とダンスをさせたり、羊に花冠を食べられたり、地獄で火の犬とバトルしたりする。

 

 第二部の最後にツァラトストラは一人の予言者(ちなみにこの予言者は第四部でまた出てくる)の言葉にショックを受け、傷つき寝込む。
 「アルパ!」という謎の叫びとともに彼は我に返り、「超人」としての階段を上がった。彼はまさに「永劫回帰」の思想を手にしつつあった。

 

感想

ツァラトストラが叫びたがっているんだ。

 『ツァラトストラ』の邦訳はいくつか存在するが、私が呼んだ竹山道雄訳はとにかく「!」が多かった。タイトルは『ツァラトストラかく語りき』となっているけれど、『ツァラトストラかく叫びき』にしたほうがいいのでは?と読書中ずっと考えていた。

 

ツァラトストラのかっこよさ

 竹山道雄訳のツァラトストラはかっこいい。さっきは「!」が多いなどと申し上げたけれど、竹山訳のすばらしさはそのかっこよさ(格調高さともいう)にあると私は思う。

 

「わが理性なにするものぞ! そははたして、かの獅子が餌食を追うごとくに、知識をば追いつつありや? いな、そは貧困のみ。不潔のみ。はたあわれむべき快適のみ!」
(ニーチェ(竹山道雄訳)『ツァラトストラかく語りき(上)』新潮文庫,21頁)

かく精神がもはや支配者と呼び神と呼ぶことを肯ぜざる、巨いなる龍とは何であるか? この巨いなる龍は「なんじ正に為すべし」と呼ばれる。さあれ、獅子の精神はいう、「われは為さんと欲す」と。
(ニーチェ(竹山道雄訳)『ツァラトストラかく語りき(上)』新潮文庫,53頁)

 

 獅子のたとえがかっこいい。彼にとって獅子とは自分の底から湧きあがってくる「われは為さんと欲す」という気持ちにのみ従って生きる、気高い存在なのだろう。
 ちなみに「なんじ正に為すべし」とはそれまでの権威的な道徳規律のこと。誰だったかニーチェ以前の哲学者が言っていたような気がする……。

 

血は水よりも濃い

一切の書かれたるもののうち、われはただ、血をもって書かれたもののみを愛する。血をもって書け。しかるとき、なんじは悟るであろう、――血、すなわち精神であることを。
(ニーチェ(竹山道雄訳)『ツァラトストラかく語りき(上)』新潮文庫,88頁)

 

 この、「血をもって書け」のくだり、私が『ツァラトストラ』でいちばん好きなところです。「血をもって」というのは血をべっとり手のひらにつけて書け、という意味ではありませんし、また自分の血液をインクにして文字を書けということではありません(想像力豊かかつ血が苦手な方はごめんなさい)。
 そうではなくて、自分が漏出するような文章を書くよう努力すべし、ということを言いたいのだと思いました。
 「文は人なり」を言い換えた形、といえなくもないかも。

 

胸が痛くなるような箴言

荒々しい労働を愛し、かつ速いもの、目新しいもの、珍奇なものを追うなんじらよ。――なんじらはすべてよく忍耐する力が足りないのだ。なんじらの勤勉は逃避である。自己を忘却しようとする意志である。
(ニーチェ(竹山道雄訳)『ツァラトストラかく語りき(上)』新潮文庫,103頁)

 

 目新しいものばかり追いかけるのは、変わらない現実から目を背けたいためである、という主張。
 自己逃避のためにたとえば流行のアニメとかドラマとか小説とかに走るのは、別に悪いことではないと思うけれど、たぶんツァラトストラ的には悪いことなのでしょう。

 

真の偉大さとは創造力である。しかるに、民衆はかかる偉大さを理解する力を持たぬ。
(ニーチェ(竹山道雄訳)『ツァラトストラかく語りき(上)』新潮文庫,117頁)

 

 ニーチェの本を出汁にこんな記事を書いている身としてはどきっとするような文章ですが、私も民衆であるので、気にしない気にしない。

 

ニヒリズムの端緒

さあれ、言え、同胞よ。――もし人類にしていまだ目標を有していないならば、人類それ自身も――いまだ存在していないのではないか? ――
(ニーチェ(竹山道雄訳)『ツァラトストラかく語りき(上)』新潮文庫,138頁)

 

 引用は「千及一の目標」の章から。この章はそれまでの人類の価値観と対比させながら、ニーチェのニヒリズムの価値観を展開しています。
 でもいいところで章が終わるので(やるな!)という思いです。週間連載のマンガみたい。

 

ツァラトストラのモテ☆アドバイス

真の男性のうちには小児が隠れている。しかして、遊戯せんことを願っている。いざ、なんじら女性たちよ、男性のうちの小児を発見せよ!
(ニーチェ(竹山道雄訳)『ツァラトストラかく語りき(上)』新潮文庫,154頁)

 まさかの女性に向けた恋愛アドバイス。
 「真の男性」には子どものような心が隠されているものなのか。ふむふむ。女性のみなさん、覚えましたか?

 

おわりに

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