村上春樹のノーベル賞受賞について

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秋の風物詩「村上春樹のノーベル賞受賞」

 村上春樹が今年もノーベル文学賞を受賞しなかった。
 私の記憶ではここ10年くらい毎年秋になると各種ニュースで取り上げられているので、世間の注目度はそれなりに高いはずである。

 「予言の自己成就」という言葉がある。起きると予言されたことは、そうでない場合よりも実現する可能性が高い。村上春樹のノーベル賞受賞もそうだと私は嬉しい。

 日本での村上春樹に関するノーベル賞の報道を、スウェーデンの選考委員は知っているのだろうか。知っていたとしても、選考に影響することはなさそうだけれど。

内田樹による村上春樹「ノーベル賞受賞祝賀予定稿」

 内田樹は毎年「村上春樹ノーベル賞受賞を祝う」予定稿を頼まれるらしい(内田樹『もういちど村上春樹にご用心』文春文庫,96頁)。
 私は村上春樹も内田樹も興味深く読んでいるので、村上春樹のノーベル賞受賞よりも、受賞祝賀原稿のほうが楽しみでならない。

 村上春樹がノーベル文学賞を受賞したからといって、村上春樹が記念としてなにか小説を書き下ろすことは考えられないし、受賞によって既存の作品がより面白くなるというわけでもないから(でも受賞スピーチは聴きたい)。
 受賞したら嬉しいが、受賞しなくてもそれ自体によって私が被る精神的苦痛はほぼゼロである。

 そうそう。
 内田樹が何度も不満を表しているように、日本の批評家たちは村上春樹について知的資源を投じることにあまり積極的ではない。村上春樹のノーベル賞受賞によって、彼らがその重い腰をあげるかどうか……それもまた楽しみなのだった。

メディアにとっての「村上春樹のノーベル賞受賞」

 それにしても、こうも毎年「今年こそ受賞なるか!?」→「残念受賞ならずでした~」の報道が繰り返しなされると、メデイアは村上春樹がノーベル賞をもらわないことを望んでいるのではないかと疑ってしまう。

 いつまでも受賞しなければ、「村上春樹のノーベル賞受賞」はいつまでもニュースのネタとして一定の効力を発揮する。少なくとも村上春樹の存命中は(もしかしたら没後も毎年、特集を組むかもしれない。さもありなん)。

 たぶんメディアは村上春樹自体に興味がない。新聞が売れるとか視聴率が上がるとか、そういうことにしか目が行っていないように思われる。

 それでもきっとメディアの中にはほんの少し、村上春樹についての新しい知見をもたらしてくれるものが埋もれている(はず)。それを探し出すことと、その探求を通した捜索能力の訓練は、至上の知的快楽をもたらしてくれると私は思う。

おわりに/h2>

KKc
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