太宰治『葉桜と魔笛』読書感想文|魔笛は弔いの音

※引用はすべて太宰治『斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇』文春文庫 による

あらすじ

 葉桜の季節、妹はあとわずかの命だった。
 姉は彼女のために男性のふりをして手紙を書くが、見破られる。
 外からは「魔笛」の音が聴こえてきた。

 

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【読書感想文】原稿用紙5枚(2000字,100行)

KKc
「魔笛は弔いの音」

 

 『葉桜と魔笛』には大きな謎があります。その謎は最後まで明らかになりません。
 「魔笛」は誰が吹いていたのか、という謎です。文中では、その人物はわからないままです。

 

 私はそれについて考えてみました。そしてある考えに到りました。以下にその筋道を述べます。

 

 はじめに確認するのは、「魔笛」が聴こえてきたとき、姉と妹は抱き合って、それを聴いているだけだったということです。
 ここで注目すべきところは、姉と妹が「軍艦マーチの音がするね」と確かめ合う描写がないことです(「妹も、耳をすましました」と書いてありますけれど、あくまで姉の視点です)。それが「魔笛」を吹いた人物を特定する重要なヒントだと思いました。

 

 私は「魔笛」が聴こえてきた話は、姉の創造ではないかと考えます。つまり「魔笛」を「吹いた」のは姉だと私は思います。

 

 ちなみに物語の最後で彼女は「あれは父上の仕業ではなかったろうか」と、まるで父親が「魔笛」を吹いていたかのように思わせていますが、それはきっと彼女の嘘でしょう。なぜなら、それを確かめたくても、もう父親は他界しているからです。「父が在世中ならば、問いただすこともできるのですが」と残念そうに言ってはいますが、きっと内心は(しめしめ)と思っていることでしょう。確かめる手段がなければ、嘘は永遠に本当のままです。

 

 話を戻します。
 私は「魔笛」は姉の創造だと思います。なぜなら『葉桜と魔笛』には、妹にもその音が聴こえていたような描写がないからです。言いかえると「魔笛」は姉だけに聴こえていたのだと思いました。

 

 なぜ姉はそんなことをしたのでしょうか。
 ありもしない「軍艦マアチ」が流れると、どんなよいことがあるから、聴こえたふりをしたのでしょうか。

 

 「魔笛」が奏でた「軍艦マアチ」というものは、軍隊の歌です。
 ふつう軍隊は男性の方が人数が多いです。だからたぶん姉は「軍艦マアチ」を「男の象徴」、「男のようなもの」と見ていたんじゃないかと私は思います。

 

 つまり、姉は「男を知らない」妹のために「男の象徴」である「軍艦マアチ」を創作したのです(妹は「今までいちども、恋人そころか、よその男の人のかたと話してみたこともなかった」と姉に告白していました)。

 

 この意味で「魔笛」は、姉が妹を死後の世界へ安らかに旅出させるための「レクイエム」だと私は思いました。「レクイエム」とは死者の魂が安らかであることを願って歌われるものです。

 

 妹は「百日以内」と医者に余命を宣告されていました。ところが彼女は、百日目が近くなってきても「割に元気で」「陽気に歌を歌ったり」しています。

 

 姉はきっと、こう考えていたと私は思います。「お医者さんに百日の命だと言われたのに妹がまだ元気に生きているのは、この世を去るための準備がまだできていないからだ」と。

 

 そのころちょうど、姉は妹宛の手紙を大量に発見していました。差出人はM・Tですが、後になって妹が自分で自分に出していた手紙だったことが判明します。姉はたぶんこれを、妹の「自己レクイエム」だと思ったのでしょう。妹が自分自身で「死への道」を準備していたのだ、ととらえたのだと思います。

 

 でも、自分で自分を弔うことはできません。その証拠に妹は「死ぬなんて、いやだ。いやだ」と未練を断ち切れないでいます。

 

 死にゆく者の冥福を祈るのは、生きている者の役割です。
 だから姉は妹のために「魔笛」を創造しました。
 それはきっと妹の耳には届いてはいなかったのでしょうが、強く抱きしめてくる姉の態度によって「逝くとき」を自覚したのだと私は思います。

 

 人は、誰かに見送られることによって静かに息を引き取ることができる。

 (86行,原稿用紙4枚と6行)