窪美澄『さよなら、ニルヴァーナ』|読み終わっても「さよなら」できない

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あらすじ

 7歳の女児を殺し、その東部を教会の前に置き去った少年。
 彼に心酔・崇拝する女子高生。
 被害女児の母親。
 作家志望の中年女性。
 4人の人生が複雑に交差する。

感想

 4人のメイン・キャラクターは皆、母親と適切な関係を結べずに生きてきてしまった。
 母親と適切な時期に適切な関係を結ぶことができなかった人物を描くことは、著者・窪美澄が執拗に続けてきたことでもある。どこかのインタビューで語っていた。どうしてそんなことをするのか、理由は失念してしまったけど(とほほ)。

 さて、思い出せないのでポジティブなことを書くのだけれど、大事なのは理由ではなく答えだと思う。
 大事なのは、なぜ著者は「母親と適切な時期に適切な関係を結ぶことができなかった人物を描く」のか、ではなく、著者はそれを描くことによってどのような「答え」を見つけるのか、だと私は思う。

 理由はたぶんきっといくらでも見つけられる。「お金のため」だとか「書かねばならないと確信したから」とか「誰かに頼まれたから」とか。小説家らしいことを言うのであれば「使命感のため」とか。

 その気になればもっともらしいことを言えるようなことに、あまり意味はない。日本人の「本音」はころころ変わる(私も毎回意見がローリングストーンする)。
 それよりだったら、なにかを始める前からでも言える「理由」よりも、なにかを終えた(あるいは終えようとしているとき)にぼんやりと見える「答え」を重要視したい。

 窪美澄『さよなら、ニルヴァーナ』のモデルは「少年A」であると明言されている(少年Aについての説明は割愛)。
 本小説を読んで、私たちは「なんだかもやもやした」気持ちになる。大多数の読者はそうだと思う。

 「黒い車」の詳細も、「『さよなら、ニルヴァーナ』というタイトルの意味」も、「作者が伝えたかったこと」も、ほとんどが曖昧模糊。ミステリー小説のように、すべてが解き明かされてすっきり読了!という読書はできない。保証します。

 でも、大半の読者がそのような経験をするということは、おそらくそれが『さよなら、ニルヴァーナ』の現時点で最も適切なとらえ方であると私は思います。

 「読み終えてもやもやする」ことがこの小説のもたらす効果なのだ。
 「もやもやした気持ち」を抱えると私たちは、なんだか居心地が悪くなって、「少年A」や、それに関連した出来事・事件、さらに「母親と適切に関係を結ぶこと」などについて考えはじめてしまう。それも無意識に、とめどなく。

 本に書かれたことについて、無意識に思考してしまうこと。
 読み終わっても「さよなら」できないこと。
 私が考える『さよなら、ニルヴァーナ』の「答え」は以上です。

 ちなみに、感想を書いた理由も同じです。
 時に「答え」と「理由」は一致する。それを知ることができただけでも、有意義な読書でした。

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

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